きのうの よる きょうの あさわ さむかったよ。
ただ だれかお こまらせたり かがいする ために もうふや ものお うばっていくんだね。
しぶやくの ぎょうせいと みついふどうさん、しみずけんせつ、ヒューリックわ
まわりお ふこうにするし、おぞましいことに それお よろこんでいる。
うけとらないと いけないものすら、
いるくせに いないと うそおつく くやくしょいんたちわ
てんけいてきな「まどぐちで わいろお ようきゅうしている おしょく こうむいん」なのかな?
しぶやくやくしょ しょくいん とっても うそお たようするんだけど、もう そういうことだよね。
うそお つく こうむいんわ しゅういにも しょくばでも おなじことお くりかえし、
せいじつさがなく ゆうがいで だいきぎょうから しきん ていきょうお うけながら ふせいに かせいでいる。
ぜいきんで ひとお ころすな。
ひとお ころす しぶやくやくしょお さばこう。
のじゅくしゃお なぐりころすな。
ぎょうせいだいしっこう だと きめれば
ひとごろしが つみにならなくなる わけじゃない。
おまえの かがいわ さばく。
ぜいきんわ いのちから うばったもので できている
しぶやくわ ぜいきんお いのちお うばうことに つかいこんでいる
「のじゅくしゃの おいだしお もくてきとしてしまっている ような しぶやく・はせべけん・しみずけんせつ ヒューリック みついふどうさん」
かわるべきわ まずしきもの でわなく、わるさのために あつらえられた「きらびやかさ」なるものお つくる こころ そのもの なのでわ ないですか?
はいじょ かんきんと ふくししせつの ちがいって なんですか?
ひとの いしと けってい という そんげんお まもり、やってわ いけないことの げんどお まもっていること なんじゃ ないですか?