「マイノリティの自由について」
同じく 坂本義和の言葉。
引用の字数が多いが、ことごとく近年向き合っている問題・昨年末からマストドンでやりとりしてきた内容にも通じる。
遅まきながら今こそ輝くことを思い、ここで共有する。
マイノリティの自由を認めない日本国家は、早晩、国際的にも孤立すると思います。また、それを認めない日本社会は、ますます荒廃していくと思います。ですから、そういう意味では、体制側に問題があるのですが、しかし、われわれがしなくてはならないことは、それに代わる日本社会をつくることだと思うのです。
そのためには、いま起こっている国家主義への回帰に、どのような歴史的根拠があるかを明らかにする視点に加えて、もう一つ、私が必要だと思うのは、未来から見るという視点です。
(中略)
21世紀にはいろいろな変化があると思いますが、その一つとして、早晩世界の各地で(中略)
一つの旗ではなくて、二つの旗、場合によっては国連旗とか、いくつもの旗を立てることが「普通」になってくる。歌もいくつもあるというのが未来の国家でしょう。それができない国家は、おそらく21世紀の国家としては欠格ではないでしょうか。(中略)
マイノリティの自由というのは、数量的な少数者の問題ではなくて、人間の良心の自由を普遍的に認めるのか認めないのか、という問題だと思います。言い換えれば、われわれ一人ひとりの人間としてのアイデンティティを認めるような社会に、われわれは生きているのかどうか。もしそうでないとしたら、それを変えなければならないのです。
一人ひとりのアイデンティティー私の言葉では「尊厳と平等な権利」にあたるのですが、それを互いに認め合う社会的人間関係を私は市民社会と呼んでいます。市民社会というのは必ずしも、すでにあるものだけではない。それはたたかう市民社会、つまり、自分をつくっていく市民社会です。それは、いつもマイノリティから始まり、だんだん連帯の輪を広げて、新しい社会をつくっていくプロセスなのです。
(中略)マイノリティの連帯を、どうやって強化していくかが、私たちの共通の課題だろうと思います。そのためには国内でのネットワークを強めていく。国旗、国歌、天皇制に関心を持っている人も、あるいは、人間のアイデンティティや人権を軸にして、」外国人の権利、女性の権利、高齢者や子供や身体障害者の人権などの問題にtpりくんでいる人びと、環境との共生や反戦・反核の課題に取り組んでいる人びとがネットワークをつくっていく。
具体的に取り組んでいる課題は多様ですが、共通するのは、人間らしいアイデンティティを確立していく、たたかう市民社会を目指しているということです。孤立感や無力感を超えて、こうしたネットワークを、どうつくっていくか。これが我々の課題なのだろうと思います。
と同時に、この問題は日本だけのことではありません。私も多くの友人が、いろいろな国におり、少数派として、人間のアイデンティティ、自分たちの尊厳と平等な権利のためにたたかっています。皆さんも、こうした人たちとのネットワークを、いろいろ持っておられると思います。
グローバリゼーションのなかには、(中略)市民的な規範のグローバリゼーションも、たしかに進んでいるわけで、それとリンクしながら、いろいろな理恵を出し合っていくことが、いま必要ではないかと思います。
私は「民主主義の危機」という言い方があまり好きではありません。(中略)「今こそ日本の民主化を」というとらえ方です。英語で言えば、"Redemocratizing Japan"でしょうか。
「マイノリティの自由について」
同じく 坂本義和の言葉。
引用の字数が多いが、ことごとく近年向き合っている問題・昨年末からマストドンでやりとりしてきた内容にも通じる。
遅まきながら今こそ輝くことを思い、ここで共有する。
マイノリティの自由を認めない日本国家は、早晩、国際的にも孤立すると思います。また、それを認めない日本社会は、ますます荒廃していくと思います。ですから、そういう意味では、体制側に問題があるのですが、しかし、われわれがしなくてはならないことは、それに代わる日本社会をつくることだと思うのです。
そのためには、いま起こっている国家主義への回帰に、どのような歴史的根拠があるかを明らかにする視点に加えて、もう一つ、私が必要だと思うのは、未来から見るという視点です。
(中略)
21世紀にはいろいろな変化があると思いますが、その一つとして、早晩世界の各地で(中略)
一つの旗ではなくて、二つの旗、場合によっては国連旗とか、いくつもの旗を立てることが「普通」になってくる。歌もいくつもあるというのが未来の国家でしょう。それができない国家は、おそらく21世紀の国家としては欠格ではないでしょうか。(中略)
マイノリティの自由というのは、数量的な少数者の問題ではなくて、人間の良心の自由を普遍的に認めるのか認めないのか、という問題だと思います。言い換えれば、われわれ一人ひとりの人間としてのアイデンティティを認めるような社会に、われわれは生きているのかどうか。もしそうでないとしたら、それを変えなければならないのです。
一人ひとりのアイデンティティー私の言葉では「尊厳と平等な権利」にあたるのですが、それを互いに認め合う社会的人間関係を私は市民社会と呼んでいます。市民社会というのは必ずしも、すでにあるものだけではない。それはたたかう市民社会、つまり、自分をつくっていく市民社会です。それは、いつもマイノリティから始まり、だんだん連帯の輪を広げて、新しい社会をつくっていくプロセスなのです。
(中略)マイノリティの連帯を、どうやって強化していくかが、私たちの共通の課題だろうと思います。そのためには国内でのネットワークを強めていく。国旗、国歌、天皇制に関心を持っている人も、あるいは、人間のアイデンティティや人権を軸にして、」外国人の権利、女性の権利、高齢者や子供や身体障害者の人権などの問題にtpりくんでいる人びと、環境との共生や反戦・反核の課題に取り組んでいる人びとがネットワークをつくっていく。
具体的に取り組んでいる課題は多様ですが、共通するのは、人間らしいアイデンティティを確立していく、たたかう市民社会を目指しているということです。孤立感や無力感を超えて、こうしたネットワークを、どうつくっていくか。これが我々の課題なのだろうと思います。
この人いい感じなのに和訳がなーい!
英詩から始めれば読めんことはないか
“ ロードは「私は強くあろうとは思わないが、他にどうすることができるのか。シスター達でさえ、私のことを道で冷たく静かな目で見ることに心を痛める。私は、私が属しているすべてのグループにおいて、他者として定義されている。他者、強さと弱さの両方。しかし、コミュニティなしでは、解放も未来もなく、私と私の受ける抑圧との間に唯一弱々しく一時的な休戦だけがある[原 1]」[18]:12-13と記した。自身のことを「連続性を持つ女性」[18]:17と表現し、表現は多くのアイデンティティが内から発する「声の合奏」であるとした[18]:31。”