國分功一郎『 #スピノザ 』岩波新書
民主国家は選良optimusの存在可能性を認めない政治体制。誰もが統治権(主権)への参加を認められる。選良ではない代表とは? 籤引き民主制
朝は國分功一郎『 #スピノザ 』岩波新書を読む。
「独裁者であろうとも、権力に内在する手段の限界を飛び越えることはできない」
人が権力の命令に従うのはその人の考えに基づいている。それが独裁者の権力の限界だ。
朝は國分功一郎『 #スピノザ 』岩波新書を読む。
「最高の喜びをもたらすはずの〈自己の能力の観想〉は、他人との比較が入るやいなや、あまりにもつまらない不快事になってしまう」
自己満足という喜びが嫉妬へ変わる、それが人間が集団で生きるということ。
朝は國分功一郎『 #スピノザ 』岩波新書を読む。
「しばしば人はねたみの感情を抱き始めた時、その対象を自分とは比較不可能なものへ格上げすることによって、ねたみを回避しようとする」
セカオワのhabit。
#スピノザ 「形而上学的思想」岩波文庫を読んでいる。
「人間精神のみをその原因に持つこうした思惟的活動は意志作用volitioと呼ばれ、またそうした活動を生ずるための十分な原因として見られる限りにおいての人間精神は意志(voluntas)と呼ばれる」
「精神はたとえ外部の事物によって或ることを肯定乃至否定されるように決定されるとしても、それはあたかも外部の事物から強制されるようなふうに決定されるのではなく、むしろ精神は常に自由にとどまるということである」
自己原因の意志がある、ある人々はそのような意志を保てないだけで。
朝は國分功一郎『 #スピノザ 』岩波新書を読む。
「第一種認識は、人間の十全な認識とは全然相容れない材料からできているのではなくて、十全な認識をもたらしうる材料が不適切な仕方で混じり遭ったり、必要な材料が欠けたままであることで生じている認識だということである」
太陽が近くにあるように感じるという表象があるときこの表象をなくすには太陽への真の距離を知るだけではなく、そう感じてしまう人間身体の本質をも変えなければならない。
#スピノザ 「形而上学的思想」岩波文庫を読んでいる。
「時間は事物の情態ではなくて、ただ単なる思惟の様態にすぎない。或は、すでに述べたように、理性の有にすぎない」
神の永遠aeternitasと被造物の持続duratioの区別がまずある。そのうえで或る事物から取り去られればその存在も取り去らざるをえないような持続と、一定の確実な運動を有する他の事物の持続、この2つの持続の比較が時間tempusと呼ばれる。
朝は國分功一郎『 #スピノザ 』岩波新書を読む。
「行為はつまり多元的に決定されている。しかし我々はどうしても意志が行為を一元的に決定していると感じてしまう。行為を意志の実現と考えてしまう。」
確かに人は単一な結果だけを意識して、その原因をすべて把握できない。
当たり前だと思ってることは当たり前ではない。
そういう考え方もあるのか、読んでみる。
https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b615243.html