まー、その結果クオリティが下がったらいかんけどね
同じクオリティで単純再生産するってのが重要
量が大事とは言っても試合中に素振りの練習とか言ってボール球で振ってたらだめだろうし
#ポストスペシャリティ (これもっと緩い名前に変えようかな) ”い部”のどっか #章部
変化が欲しい場合や成長したい場合は、「安定したものを無理に変える」のではなく、そもそも「新しいことを始める」のが良いんだろうな
主観的な変化欲みたいのを、既に最適解みたいのに収束して安定軌道に乗っている対象に強引に押し付けると、それは単に対象を乱すことにしか繋がらない
逆にある最適解から、別の最適解を一時的に体験したりすると、向こうのコミュニティではそれが退屈な日常に思えることでもそれがこっち視点では凄く斬新で刺激的に思えるかもしれない
「変化欲の押し付けはやめよう」→「変化欲は”最適解”から”最適解”へ自分が移動することによって解消しよう」
ということを考えた
もちろん明らかにその対象側が変化を必要としている時は変化させなくてはいけないけど、物事というのは無限に成長できる余地があるわけじゃなくて、どっかで最適解に完全に収束して、変化させない事が最高のパフォーマンスを生むという状態になることがあるから、色々試してもう最適解に完全に収束して飽きたりしたら、もう全然違うこと体験するってのが一番楽しめるんだろうね
#自己啓発
#ポストスペシャリティ い部のどっか #部章
ちょっとこの「部章」に追加しときます、
『ほ章:山登る景色の料理人 るいは景色を料理する登山家』
を”い部”のどこかに挿入します
この内容に関しては前に、
#文学認識 だか #文学論 だかで書いたはずだけどこの体系に組み込む
位置としては”に章”の前後辺りが自然かなと思っています
#ポストスペシャリティ #部章 (タグやテーマの編成に関するトゥートにおいて使う新設タグね #タグツリー )
#タグツリー #部章 #ポストスペシャリティ #文学論 #文学認識
#コンセプトハイフロスガー //タグ付けトゥート及び部章指定トゥートね
#夜郎再興戦略
#ポストスペシャリティ →”ろ部い章”及び”ろ部ろ章”
#ポストスペシャリティ #夜郎再興戦略 #コンセプトハイフロスガー
#コンセプトハイフロスガー
ちなみに返信先トゥートを説明しておくと、
「誘惑文脈」と「結わく」で音がかかってるからね
そして更にそれが、「誘惑文脈と主観文脈を”結”わこうぜ(そしてまずその”結わき”を第一に手を付けて事を起こした方がが良いぜ = 『起結』)」っていう”い部は章”のメッセージ及びそのための方法論と、”い部ろ章”の「起承転結の”起結”を自身の主観的な内容によって抑えられた物語的文脈を作りましょう(
=起結 )」という理論的なメッセージが『起結』という熟語によって重なる
音と字によってここら辺が重なっている辺りが文学的美を伴っていてかっけえやろ? #審美眼
#ポストスペシャリティ #起源主張用 #審美眼 #コンセプトハイフロスガー
『かつて一般的な婚姻制度が「お見合い婚」によって成り立ち、それが時代の経過によって支配的なそれが「自由恋愛」に推移したように、ポストスペシャリティの時代においては、自身の生き方においても同様に、受動的にただ社会から何かしらのアイデンティティや所属性を与えられることを待つのではなく、自身が興味関心を持つ対象、言わば「誘惑文脈」と、自分自身の「主観文脈」を能動的に、時にはやや強引に、”結わく”ための活動を行う必要がある
即ち「結わくことから起ちあげよ」ということである
対象の誘惑文脈において、それを自身の文脈の延長に、主観的に語ることができるようになること、そしてなおかつその物語を、起承転結の起と結の部分を抑える形でまとめることができるような編集能力が重要っていくのである
では具体的に、どのようにして、対象の誘惑文脈と自身の文脈を結わいていくことができるのだろうか』
#起源主張用
#ポストスペシャリティ →”い部は章”
//こんな感じで『部章』における位置指定は行っていこうかなと思っている(『部章指定』と名付けようかなこれに) #コンセプトグレイビアード
#コンセプトグレイビアード #ポストスペシャリティ #起源主張用
ちなみにこれが、令和最新版の #ポストスペシャリティ の概念地図、要は目次です
『い部「文脈の交差点、起結論」
い章(理論):世界の世間化 主観、当事者性の獲得の必要性
ろ章(理論):”起結”を抑えよ
は章(実践):決意に習慣を、主観(当事者性)の獲得法 (”誘惑”)対象文脈と自己文脈を”結わく”方法 (こっから実践編、ろ章の「起(承転)”結”論」という理論名が、「”結”わくことから始めよ」というは章の実践的姿勢の最適解に意味が繋がっている感じがして美しい #審美眼
に章(実践、コラム):独自独学法
ろ部「家名刺論」
い章(実践):雄略精神 家と名刺を持とう(しかしその中に引きこもる必要はないし、それを売り物にしてはいけない)
ろ章(実践):主観的志向性(MSP的、『したいネーム(仮)』)と客観的家(USP的)(とりあえず「名前」と「国籍」の間のレイヤーにその二つを作って名乗ることが大事)
は部「心の遮断性、抜三海」→これは #夜郎再興戦略として 独立させるつもりだが連続しているという意味でここに書く』
#ポストスペシャリティ #夜郎再興戦略 #起源主張用 #夜郎再興戦略として #審美眼
もうちょっと詳しく書こうかな
『
い章:文脈の交差点、起結論
ろ章:肩書とは家である(必要だがそこに引きこもる必要はない) あるいは名刺である(必要だがそれを商品にしてはいけない)
』
みたいな感じのテーマになっている
ハッキリ言って天才でしょ
これ思いついてるの
凄すぎると思うわ
ちなみにここで言う「肩書」ってのはかなり抽象度が高いというか、いわゆる既存の社会で用いられている「肩書」とはまた別の概念に近いと思っている
今のところそこを埋め合わせることができる言葉がないので暫定的に「肩書」という言葉を使っているけど、これは最終案ではない
ニュアンスとしては「USP」とか「MSP」ってビジネス用語が一番近い気がする
いかにこういう肩書を作るか、要するに「自分の住所を獲得するか」ってのが重要だと思っているし、そこのノウハウも #ポストスペシャリティ タグで、つまり次世代の攻略法として語っていきたいと思っている
さてさて、
このテーマやタグごとの「位置情報記載法」によるSNS上での体系的文脈の構築術についてだけど、これを例えばあるトゥートの文頭とか文末とかに、
>1.1
とか書いて「これは一つの長い文章に起こした時に第一部の第一章くらいに配置する内容ですよ」みたいに意味をもたせた場合、あとから章立ての内容を再編した時に混乱してしまうのよね
これを避けるために、数字ではなく「いろは」みたいな記号を使うのはどうだろうと思った
つまり、「1章、2章、3章、、、」みたいに文脈を整理するのではなく「い章、ろ章、は章、、、」みたいに編集していくと、あとから、
「あ、やっぱ”い章”と”ろ章”の順番逆ね」みたいなことをしやすくなっていくはず
ここら辺もこのシステムに基づいて運用していくと新しい最適解みたいのがどんどん見つかっていく気がするのよね
ちなみに、 #ポストスペシャリティ の場合は、
い章:文脈の交差点、起結論
ろ章:肩書とは家である 必要だが引きこもる必要はない
みたいになっている
ちなみにだいぶ情報量省いているので特に「ろ章」のタイトルは誤解を招かないように今後カイゼンしたい
そしてこの中国領内に領土主張を行うことは、まさにドルゴンや関東軍に連なる『抜山海』の精神に通ずる
で、 #ポストスペシャリティ ってのも、”Special”って言葉が「専門性(Speciality)」って言葉にも通じるポジティブな意味と、「障害」って意味が英語にはあって、極端な価値の二極化を促すWeb2.0時代には、そのいずれもが、つまりある評価軸の数値が高い方のキワモノも、低い方のキワモノもいずれも価値が付与される一方で真ん中の部分からは価値が剥奪され、人々がポジティブな方向ばかりか、ネガティブな方向にさえ戦略上の志向性を働かせ始めた(例えば発達障害という自我への社会的欲求とか)というある種狂った時代への一種の時代的決別を意図してつけたのよね
これからは高度な専門性も障害性も前とは違って価値をただ存在するだけで担保されるという特権的な状態ではなくなって、特に「専門性」は文字通りの意味での「障害性」になりうるだろうなという #未来予測 を反映させている
で、そういった認識に基づいた上で俺は「小さなランキング」を持つインスタンスやコミュニティ、遮断結社的なもんを作ろうとしているんだけどそこでのネーミング案として、 (続く)
あー、あともう一つ
「”批判側の声”に耳を傾けることがその対象を理解するための最短ルートであることもある」
ってことね
それと、
「決意に習慣を 対象を自身の生活と結びつけて能動的に接点を作りに行く生活設計を実践する」
って二つが今回の連トゥーの要点
後者に関して言うと、それは出会いがない環境下での恋愛にもどこか似ているのかもしれない
積極性と接点が大事っていうこと
接点がないままに客観的な態度で対象に迫るってのは自分が人間である以上、この社会で行っていくのはかなり難しいのではないかと思う
#ポストスペシャリティ #情報発信は生存発信 #独自独学法 #随筆
「やる気に依存しない生活設計を自分で構築する経験」をするってこと
対象と自分の生活をどう結び付けて、接点を築いていくか、そしてそれを上手く物語にして文脈立てて発信していくか、これが #ポストスペシャリティ 時代に必須の能力だと確信している
その意識的な最初の実践になれればなと考えている
非人間的ななにかの対象との押したり引いたりの駆け引きを学ぶ必要がある
#情報発信は生存発信 #独自独学法 #随筆 #ポストスペシャリティ
あと更に最近思ったこと書くは
そもそもその存在が人間の”主観”や”感情”に立脚した人工概念をそれら主観や感情抜きに語るのって無理だよなってこと
要するに、例えば万有引力や化学反応なんかは人間不在でも存在しているかもしれないけど、社会や経済ってのはそもそも人間の主観なくしては存在し得ないものなのよ
これも定義によるとは言え、人間、もしくは全生命が絶滅した世界で、そこに社会や経済が成り立つのかって話
存在し得ないよね
だから「主観の集合」を意識した合意形成みたいなものはできたとしても、本来の意味での「客観」的な議論なんてしようがない
「たくさんの主観の総体」と、そもそも主観そのものを否定した上での狭義の「客観」って厳密には異なるものだろうし、だからこそそこら辺の議論は最終的にポジショントークにならざるを得ないしそれが間違いでもなんでもないんだよね
最近は「主観的であること」を重視しています
#ポストスペシャリティ や #情報発信は生存発信 的な文脈においても
#したい哲学 #したい科学 #タグツリー #独自独学論 #独自独学法 #情報発信は生存発信 #ポストスペシャリティ
#コンセプトハイフロスガー
ちなみにこの『悩みの履歴書』には「”オルタナティブアクション”」って副題つけてる
『オルタナティブアクション、悩みの履歴書』って
行動も大事だけどその過程の試行錯誤の方を楽しみたい
けど悩みは行動しなくても過ぎ去る時代に囲まれながらただ生きているだけで生ずるものだから”悩み本位制”でストーリー組み立てるとより自分軸が際立って面白くなる気がする
#隣近所作り や #ポストスペシャリティ 、更には #情報発信は生存発信 文脈でここら辺の話及び文化を盛り込んでいくつもりだ
まー、「感情の履歴書」とか「思考の履歴書(思考履歴)」とかでもええのやけどね
けどその一例、あるいは筆頭としての具体物として「悩みの履歴書」の精神は大事にしたい
#自己啓発 #三上探し #生活習慣環境 #情報発信は生存発信 #ポストスペシャリティ #隣近所作り #コンセプトハイフロスガー
『 春の師走作戦 』に関してはこれに付随して「北支一撃」的な言葉が必要かなとも考えている
要するに、 #ポストスペシャリティ な時代における生き様やその攻略とは全く別に、 #ポストスペシャリティ な時代そのものを引っぱり出すために一助するような行動がまだまだ必要だと考えている
そのために俺が仕掛ける #認知戦 、そのための戦闘計画
部分不最適、されど全体最適的
みたいな発想をしていく必要もあるなってな
もちろん単なるアイデアに過ぎんから実行に及べない可能性もある
ニーチェにとっての『 力への意志 』のような、俺にとっての #したい精神 #だからこそ精神 に基づている #したい哲学
#したい哲学 #だからこそ精神 #したい精神 #認知戦 #ポストスペシャリティ