だから、金原ひとみ氏の連載小説だったかと思いますが、
高邁な理想論を述べる親と、それに対して「宗教だ」といらだつ子と。
親の話すことは全く正しいと思うのですが、いささかナイーブで。
そのいらだっている子も実は同族で、思い通りにならない理想に対してやり場のない感情をもっていて、怒りになるわけです。
それで結局、問題はなんなのかと考えるに、人類ひとりひとりが当事者意識をもち自己客観視につとめて責任感のある行動をとるという #デモクラシー の完成形の社会への理想をもちつづけることは必要でしょう。
しかし実際には、ヒトは完璧ではありえず、人類70億をはるかに超えるほどいるわけですから、理想を完璧に達成することは不可能。
けど、目指し続ける。(それに対して世界の風潮は、封建主義への退行。 #ポストモダン はプレモダンへの退行。モダニズムに燃え尽きちゃったんでしょうか?)
だから、常に理想と現実にギャップがあり、そのギャップに対してどう向き合って、何をやれるのか?
そのとき #芸術 がひとつの選択肢であり、 #文学 もそこにあるわけでしょう。
#デモクラシー #ポストモダン #芸術 #文学 #純文学 #小説 #小説書き
#ポストモダニズム といったところで、日本もそもそもモダンにすらなっていないというか、成熟していないわけですから。
日本は封建的で、権威主義的で、国家・社会全体優先の思想です。
西洋近代の形式だけを真似て、和魂洋才って言っていましたから。「憲法」とか「権利」とか「人権」とかいう訳語もそうですし、戸籍制度。また例えば民法親族法の制定でも大モメして、比較的封建的な制度にしたわけですし。
欧米では、自己洞察、自己批判によって、近代思想(モダニズム)が形成されたのです。
日本は、その見た目だけを真似たわけです。
#ポストモダン というなら本来は、中近世の封建時代を批判した近代思想、それをさらに批判して進歩する到達点です。ジンテーゼにアウフヘーベンするわけです(ドイツ語だした途端ウサンクサイなぁ😅 )。
ところがいま、日本にせよ東アジアをはじめ世界各地で、進歩成長どころか、封建社会への逆戻りをしているのです。ポストモダンではなく、プレモダンといったところでしょうか……。
ポストモダンとは、人類の自己洞察と自己統治、地球や将来を食い物にするのをやめて融和する時代だと、私は考えるのです。
1980年代に《ポストモダン》がキャッチフレーズとなった頃,それは一部の欧米エリート知識人のお喋りでしかなかったけれども,現在では政治的現実として広く一般人に可視的になっているように思う。特に日本ではこれが著しい。立憲野党の完敗。《平和主義,国民主権,人権擁護という日本国憲法の基本理念を肝に銘じ,賢明な主権者として行動すれば,自ずと社会の進歩と人間解放が進展する》という戦後日本の予定調和的なドグマは,少なくとも現在のままではとても維持し得ないのではないか。実際,自公政権を潰す絶好のチャンスにあって,批判票の多くは護憲政党でなく,維新のような右翼的かつ日和見的な政治集団に流れていってしまったのだから。
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