【❗️集合場所間違いのため、訂正❗️グラウンドルール追加】
『!!!集合場所をJR和歌山→南海和歌山市駅に訂正しております!!!ごめんなさい!!!
🦔和歌山アクションのお知らせ🌿
◯【南海】和歌山市駅集合
◯13時〜
・途中退出・途中参加 大歓迎🙌
みんなで自由に話し合いながら
駅近く
◯和歌山市立図書館(移民資料室・テラス席がある)
◯和歌山城(動物園もある)
◯本屋
◯大阪入管和歌山出張所
など
アクションとともに
ピクニック的なこともしつつ
まわる
強制のとても少ない感じです
和歌山市立図書館移民資料室は日本から海外への移民の視点から移民問題を見つめ直せる素敵な場所』
🌈リモート参加も もちろん大歓迎🙌🌈
いる場所は都度こちらのアカウントで更新していきます
わからない時はこのアカウントか
wakayamaaction@gmail.com
に聞いてください
当時日本の報道ではさめた扱いだったから、あまりピンとはこなかったけど。
朴槿恵を退陣に追いやったキャンドル革命は、政党や団体の旗はなく、掲げられているプラカなどは個人や「カブトムシ研究会」などのものばかりで、カップルも参加していて、すごく参加しやすい雰囲気があったという。
とりあえずこの1分の動画を見ればあの市民社会運動のすごさが一目でわかる。Quartzというアメリカ拠点のチャンネルから。
South Koreans are really good at protesting
https://youtu.be/r_VLWeIgOlA?si=IVzt8CjsxNe7tpMG
ちなみに気温マイナス10度。ソウル市全面協力で救急車などの安全確保や
終了後の計画的な清掃まで考えられていた。
長いver.
Candlelight Revolution, Sovereignist Democracy
https://youtu.be/gCSgfFjMwbA?si=tL-HUQHxy4LfFymV
「海外移住と文化の交流センター」というところに行ってきた。
https://www.kobe-center.jp/about.html
日本から主に南米、とくにブラジルへ移民した人たちは、ここで1週間ブラジルの言語や文化を学び、船で50日かけてシンガポールやアフリカのケープタウンを経由してブラジルへ行った。
日本に来る/いる 海外ルーツについての議論は、日本からも海外に移住してきた/する という視点に欠けているなと感じていたため、ここで明治の頃からの日系移民の話をお聴きできたのは願ったり叶ったり。
明治の富国強兵で世界的に堕胎禁止令が出ていたが、そうすると人口が3000万人→6000万人と倍増。新潟・福島を中心に戊辰戦争の傷あとと、また西日本中心に口減らしのために、南米へ移民を受け入れるよう契約を取りつけていたというのが大半の日系移民だった。
キツすぎるワクチン、過酷な道のりとその先。逃げ出す人々も出た。盛大なキャンペーンで行った人でも、成功したのは一握り。
だがその一握りの成功エピソードの数々も伺うことができた。それらは機転が効いており必死であり、海外に出るときの人間の心境もそこから窺い知れると私は思う。経由中の国でタネを盗みアンパンのアンだけ食べてそこに入れて運んだなど、もちろん犯罪ではあるのだが、そりゃそうだよな、と思える背景だ。ぜひにも何かを実らせないと、既知の地獄か、未知の地獄の2択なのだから。
海外に出る際の心境や出た後の失敗、困難の数々が思い出され、話の一つひとつが身につまされる。
ふるさとへの愛着は離れるほど強くなるなというのも人情としてやはり共通なのだと。
アマゾンを切り拓き、勤勉に働いた日系南米人たちの話。直接聴けたらどんなに嬉しいかと思う。
非常にショッキングだった話がある。勝ち組・負け組ということばのおそらくはもともとの意味の話だ。
勝ち組は敗戦が信じられない人、負け組は日本の敗戦を認識し、真実を伝える努力を重ねた人。
結局は詔書や家族からの手紙による働きかけで知っていくのであるが、当時情報も不十分な上に遠く離れた故郷への愛着もひとしおだったのだろうか、勝ち組の負け組に対する嫌がらせ(自決しろ、と書かれた手紙までこの施設にはある)はすさまじかったのだ。
このような施設はほとんどが取り壊され、現存する貴重な、だがこれも立派といえども、いつなくなるかわからない施設だ。
またこの施設はもともと明治の神戸の財界人たちが、当時の移民は国策にもかかわらず民間の移住宿に任せきりしているあり様を見かねて私財を投げ打って建てられたものであり、建築自体にもどことなく明治建築のレトロさ、洒脱が感じられる。
少しでもご縁・ご興味があったら、ぜひ行って音声ガイドを聴きながら回ったり、研修に使ったりしていただきたい。
ご自身も日系移民のアントニオ猪木さんのお名前が寄付者一覧にあった。
「口減らし」呼ばわりされて出ているのに、自分を見てくれ、と生きる猪木さんは非常に立派な方だった、と施設の方が話してくださったのがとりわけ印象的である。
汚染水放出の一か月前にはもう
差し迫っていたのに
別の話題に躍起でなんにもしなかった愚かさ
インボイスも人の生き死にに関わることで
フリーでしかとても生きられないような人から酸素を奪っていくだろう
入管法も本当に改めて恐ろしい
このままでは改憲も止められない
放射能の話題は
立場や見解のちがいに気を取られてほんとにまとまりにくかった
だけどもっと、
なぜもっと規模が大きくならなかったのか?
わたしたちはもっと必要な時に
差異を認めながらも
いちばん避けたいいのちや豊かさの軽視という問題群を前に
まとまりやすくならなければならないのではないだろうか?
一ミリでも、前へ、進み合えるように、案を出し合っていかなくてはならないのではないか?
そこでどの案が勝つより、どの案が勝たなくてもいい、みなが本心から活動して、自然体で
学びあいながらも、だけど
汚染水放出の一か月前にはもう
差し迫っていたのに
別の話題に躍起でなんにもしなかった愚かさ
インボイスも人の生き死にに関わることで
フリーでしかとても生きられないような人から酸素を奪っていくだろう
入管法も本当に改めて恐ろしい
このままでは改憲も止められない
放射能の話題は
立場や見解のちがいに気を取られてほんとにまとまりにくかった
だけどもっと、
なぜもっと規模が大きくならなかったのか?
ラストです。お読みいただきありがとうございました。
「市民的不服従を」 鎌田慧 ルポライター
今の国会は大政翼賛会になったという意見がありますが、僕はむしろ貴族院になったと言う気がしています。戦前、大地主が地租、税金を払うことによって貴族院議員の選挙権を持ったわけですが、今はたくさんの七光りの2世議員が親から地盤を受け継いでいます。
(このころ、さまざまな抵抗運動、住民運動が全国で起き始めていることに触れ) こころと抵抗のネットワークといえます。(中略)こういう意思の示し方、その基本は「私」、「自分」です。服従しない私、服従しない自分を、これからどういう風に打ち立てていくのかと言うことだと思います。
僕も30年こういう仕事をしてきて、日本の現実を見ますと、いったい自分は何をやってきたのかという思いに駆られます。それでも、抵抗する人たちとともに、まだまだ書き続けて、ネットワークを結ぶための抵抗を続けていきたいと願っております。
テッサ・モーリス=スズキ オーストラリア国立大学教授(当時)
日常生活の場から、どうやって公的時間の回復ができるのか、どうやって政治活動を立ち上げる基盤を作り直せるのか、どうやって市民の生活の中への国家介入に抵抗しうるのか、そして、どうやって世界の政治、経済について自己教育が可能かという問題を検証しなければならないでしょう。その検証の過程で、国境を越えた市民運動とか社会運動のあいだの交流とか協力が、より重大になると思います。
人権が奪われた人たちは、限界はあるのだがある程度までは、他の人権が奪われている人たちとの連帯が可能だろう。そういう組織を※(オーストラリアで)つくろうとしているのです。どれくらい成功するかはわかりませんけれども、いまの日本の状態を見ると、同じような運動が必要ではないかと感じます。
※当時オーストラリアで作ろうとしていた組織というのは、1994年までの労働党政権でアボリジニに対しての謝罪を果たし、先住権の法も通すなど社会政策は進歩的であったが、経済面ではネオリベラル政策を取った為、「政府はアボリジニ・アジア系の移民の人権は考えているが、自分たちの権利は全然考慮しない」と、中間層、大企業以外の人たち、そしてとりわけ非都市の人たちは病院や銀行がなくなるなどする程度には考慮されていなかったため、非常に絶望的になっていた。
これに対応するための動きとして、オーストラリア人権委員会が、いろいろな田舎へ行って、人権というのはアボリジニだけの問題ではない。あなた方にもある。だがそれが侵害されているのではないか、と話すキャンペーンが行われていたことを指す。
三木睦子(三木武夫元首相夫人)
「私たちがそこで転げていても決して軍人さんは私たちを助けてはくれないのです。」
「(天皇在位10周年の時の芸大生の1人斉唱を聴いたときに)訓練のある人でなければ歌えない歌がわれわれの歌であっていいのかしらと思いました。」
当時安全保障環境の変化が急速に起きていた。そこにこの年成立したのが周辺事態法だった。
これには
「日米ガイドライン交渉におけるジョセフ・ナイ氏らアメリカの強い圧力もあった」
と、前田哲男 東京国際大学教授(当時)はしている。
前田によると
周辺事態法は日米ガイドラインを国内法にしたものであり
当時のアメリカは日米安保を「反共の防波堤」から「周辺事態対処」へと全方向化する意向があった。
また当時、民主党の中には鳩山由紀夫党首を筆頭に改憲に熱心な人間も大勢存在した。
国旗・国歌法の採決では、民主党から
賛成議員が45人、反対議員46人出ている。
冷戦後の安全保障面含め、あらゆる面で巨大与党以外の具体的なオルタナティブがないことがいちばんの問題だ、との指摘が複数から出たため、ではどうすればいいかについても話し合いがなされた。
「経済的、政治的、社会的、文化的なさまざまな思想的な対抗軸をどうつくるか」
金子勝 法政大学教授(当時)
山口二郎 北海道大学教授(当時)
金子「1つはその思想的対抗軸を作る主体の問題です。そして全体の方向性、最後が具体的な内容、分野です。主体ということであれば、政党にはもちろん働きかけをしても、政党が主体となって社会が変わる事はないだろうと僕は思います。
社会が危機的な状況になった時、摩擦が強まると言うよりは、今は社会病理的な現象が広汎に広がるだろうと思います。
高齢者が社会的入院で、療養型病床群として存在していく。
社会の日常は、確実に暗くなっていきます。そういう事態をすくい取れるのは、市場でもなければ、護送船団でもありません。
アジアに共通する問題ならアジアの、日本の地域なら地域に共通する問題を解決するアソシエーション(=共通の目的や関心をもつ人々が、自発的に作る集団や組織)ができなければいけない。そういう多層的に積み重なったようなものが出てこないといけない。
つまり公共空間を、市場にも埋め込んでいくし、政府にも埋め込んでいかなければなりません。そうすると、具体的な問題がバーッと出てくるのです。そこでひとつひとつにどういう対抗軸をつくっていくかが大事なのです。
主体はそう簡単にはできませんし、いまは無力感そのものです。でも、私たちは徹底的に日常的な世界の中でがんばっている人たちに目を向けることが大事だと思うのです。
現実に切り込んでいくには、日常の生活の中に徹底的にオルタナティブを染み込ませるしかないのです。そういう日常といわゆる大きな話をセットにしていかない限り、説得力は増さないだろうと思う。
つまり、周辺事態法や通信傍受法や国旗・国歌法を生み出している日常そのものを問うということです。そういう構図が人びとの前に見えない限り、ほんとうの意味でのラディカルなデモクラシーは社会の底からは湧き上がってこないと思います。」
山口「結局、自民党的利権政治の矛盾みたいなものをいちばんかぶっている地域の中で出てきたものが、やはり本物だと思います。
(99年スコットランドの自治を大幅に規定した改革はなぜできたのか見てきた際の収穫として)1980年代サッチャーリズムが全盛を極めた時代に、いちばん中央からの締めつけを食って、地域の独自の住宅や社会保障や教育がどんどん削られていった時代に、スコットランドの市民たちは、地方分権を根本的にやって自分たちの地域政策を取り戻そうという運動を始めたのです。それから15年経ってようやく実現したのだという話を聞きました。
参考:スコットランド議会キャンペーン
https://hamada.u-shimane.ac.jp/img/old_post_img/20230402150301_4/seisaku103.pdf 」
そのリーダー、リンゼーさんによると、2つ大事なことがある。1つは時間の幅を長くもつこと、もう1つは、いつ変革のチャンスが来てもいいように、具体的な案をきちんと練っておくことだ、という。
当時安全保障環境の変化が急速に起きていた。そこにこの年成立したのが周辺事態法だった。
とはいえ、冷戦後の安全保障面含め、あらゆる面で巨大与党以外の具体的なオルタナティブがないことがいちばんの問題だ、との指摘が複数から出たため、ではどうすればいいかについても話し合いがなされた。
「経済的、政治的、社会的、文化的なさまざまな思想的な対抗軸をどうつくるか」
金子勝 法政大学教授(当時)
山口二郎 北海道大学教授(当時)
金子「1つはその思想的対抗軸を作る主体の問題です。そして全体の方向性、最後が具体的な内容、分野です。主体ということであれば、政党にはもちろん働きかけをしても、政党が主体となって社会が変わる事はないだろうと僕は思います。
社会が危機的な状況になった時、摩擦が強まると言うよりは、今は社会病理的な現象が広汎に広がるだろうと思います。
高齢者が社会的入院で、療養型病床群として存在していく。
社会の日常は、確実に暗くなっていきます。そういう事態をすくい取れるのは、市場でもなければ、護送船団でもありません。
アジアに共通する問題ならアジアの、日本の地域なら地域に共通する問題を解決するアソシエーション(=共通の目的や関心をもつ人々が、自発的に作る集団や組織)ができなければいけない。そういう多層的に積み重なったようなものが出てこないといけない。
つまり公共空間を、市場にも埋め込んでいくし、政府にも埋め込んでいかなければなりません。そうすると、具体的な問題がバーッと出てくるのです。そこでひとつひとつにどういう対抗軸をつくっていくかが大事なのです。
主体はそう簡単にはできませんし、いまは無力感そのものです。でも、私たちは徹底的に日常的な世界の中でがんばっている人たちに目を向けることが大事だと思うのです。
現実に切り込んでいくには、日常の生活の中に徹底的にオルタナティブを染み込ませるしかないのです。そういう日常といわゆる大きな話をセットにしていかない限り、説得力は増さないだろうと思う。
つまり、周辺事態法や通信傍受法や国旗・国歌法を生み出している日常そのものを問うということです。そういう構図が人びとの前に見えない限り、ほんとうの意味でのラディカルなデモクラシーは社会の底からは湧き上がってこないと思います。」
山口「結局、自民党的利権政治の矛盾みたいなものをいちばんかぶっている地域の中で出てきたものが、やはり本物だと思います。
(99年スコットランドの自治を大幅に規定した改革はなぜできたのか見てきた際の収穫として)1980年代サッチャーリズムが全盛を極めた時代に、いちばん中央からの締めつけを食って、地域の独自の住宅や社会保障や教育がどんどん削られていった時代に、スコットランドの市民たちは、地方分権を根本的にやって自分たちの地域政策を取り戻そうという運動を始めたのです。それから15年経ってようやく実現したのだという話を聞きました。
参考:スコットランド議会キャンペーン
https://hamada.u-shimane.ac.jp/img/old_post_img/20230402150301_4/seisaku103.pdf 」
そのリーダー、リンゼーさんによると、2つ大事なことがある。1つは時間の幅を長くもつこと、もう1つは、いつ変革のチャンスが来てもいいように、具体的な案をきちんと練っておくことだ、という。
「経済的、政治的、社会的、文化的なさまざまな思想的な対抗軸をどうつくるか」
金子勝 法政大学教授(当時)
山口二郎 北海道大学教授(当時)
金子「1つはその思想的対抗軸を作る主体の問題です。そして全体の方向性、最後が具体的な内容、分野です。主体ということであれば、政党にはもちろん働きかけをしても、政党が主体となって社会が変わる事はないだろうと僕は思います。
社会が危機的な状況になった時、摩擦が強まると言うよりは、今は社会病理的な現象が広汎に広がるだろうと思います。
高齢者が社会的入院で、療養型病床群として存在していく。
社会の日常は、確実に暗くなっていきます。そういう事態をすくい取れるのは、市場でもなければ、護送船団でもありません。
アジアに共通する問題ならアジアの、日本の地域なら地域に共通する問題を解決するアソシエーション(=共通の目的や関心をもつ人々が、自発的に作る集団や組織)ができなければいけない。そういう多層的に積み重なったようなものが出てこないといけない。
つまり公共空間を、市場にも埋め込んでいくし、政府にも埋め込んでいかなければなりません。そうすると、具体的な問題がバーッと出てくるのです。そこでひとつひとつにどういう対抗軸をつくっていくかが大事なのです。
主体はそう簡単にはできませんし、いまは無力感そのものです。でも、私たちは徹底的に日常的な世界の中でがんばっている人たちに目を向けることが大事だと思うのです。
現実に切り込んでいくには、日常の生活の中に徹底的にオルタナティブを染み込ませるしかないのです。そういう日常といわゆる大きな話をセットにしていかない限り、説得力は増さないだろうと思う。
つまり、周辺事態法や通信傍受法や国旗・国歌法を生み出している日欧そのものを問うということです。そういう構図が人びとの前に見えない限り、ほんとうの意味でのラディカルなデモクラシーは社会の底からは湧き上がってこないと思います。」
山口「結局、自民党的利権政治の矛盾みたいなものをいちばんかぶっている地域の中で出てきたものが、やはり本物だと思います。
(99年スコットランドの自治を大幅に規定した改革はなぜできたのか見てきた際の収穫として)1980年代サッチャーリズムが全盛を極めた時代に、いちばん中央からの締めつけを食って、地域の独自の住宅や社会保障や教育がどんどん削られていった時代に、スコットランドの市民たちは、地方分権を根本的にやって自分たちの地域政策を取り戻そうという運動を始めたのです。それから15年経ってようやく実現したのだという話を聞きました。
参考:スコットランド議会キャンペーン
https://hamada.u-shimane.ac.jp/img/old_post_img/20230402150301_4/seisaku103.pdf 」
そのリーダー、リンゼーさんによると、2つ大事なことがある。1つは時間の幅を長くもつこと、もう1つは、いつ変革のチャンスが来てもいいように、具体的な案をきちんと練っておくことだ、という。
追記すると
もちろん どんな方法を取り入れても 同じ境遇の者同士ですら分かり合えないことってあると思いますし
今自分がやる精一杯が別の誰かから見たらなんかすごく軽々しかった、なんてことはたくさんあるので
「一つにまとまるなんてムリよね。」というあきらめから始めることは何よりも大事かもって思います。
「あの」参政党も取り入れているというメソッド、コミュニティ・オーガナイジングの本をざっくり一周してみました。
鎌田華乃子
「コミュニティ・オーガナイジング ほしい未来をみんなで創る5つのステップ」
https://honto.jp/netstore/pd-book_30630896.html
筆者が「日本で社会運動が起こりにくいのはなぜか」NYに渡り、コミュニティ・オーガナイジングとはなにかを社会運動の現場で学び、持って帰ってきて書いたのがこの本です。
日本の人が抵抗なく読める本を目指して作られているだけあって、知識がなくても読みやすかったです。
実例より前に小学校の子どもたちが学校の環境を少し改善する、そんな例をつかいながらコミュニティ・オーガナイジングのやりかたを説明しています。
①最初から全員を巻き込もうとやみくもになるのではなく、社会問題に直面している当事者、そして当事者と同じくらい思いを共にしている人で集まる。(これは5-10人と言われる)
②まずはこの少人数のメンバー同士が、社会運動を通して能力を伸ばし、リーダーシップを育みあえることがカギ。
③このメンバーがまた別のメンバーのリーダーシップを育み、新しいリーダーたちは、また新たなメンバーのリーダーシップを育んでいく。
このようにして徐々にメンバーを増やしていく。
めちゃくちゃイヤな、でもめちゃくちゃ分かりやすいたとえを出すと、ねずみ講のメンバーの増えかたと同じ。
④弱みを隠さず、弱さに直面したときの選択、そしてその結果を「わたしのストーリー」として語ることで共感を得る。一緒に行動したいと思ってもらう。
⑤みんなちがう自我と個性のある人間だけど、共通していることもある前提に立ち、「わたしたちのストーリー」を語ることで一体感を感じてもらう。
⑥今行動する理由を語る。緊急で直面している困難、それを乗り越える道筋と希望を語るというかたちで。
こんな感じ。つづきはなにで出そうかな。
非暴力とはなんぞや、ということを今考えていて
暴力って自分が振るう暴力、
自分が無意識にしてしまっているふるまいの点検ももちろんそうだけど
自分の身に降りかかる暴力をできるところからでいいから認識するのも大事な非暴力だと思っていて
もちろん国に振るわれている暴力もその一つ
なぜなら自分に降りかかる暴力に自分が耐え抜けたとしても
同じ暴力をそれぐらい平気だろと言ってしまう可能性があるから
痛いもんは痛い
そしてみんながみんな同じことを暴力に思うはずもない
定義は少しずつ違っても
大まかに協働できる方が自分はうれしい
無理がないと思う
べったりはりついてないと不安だというは協働とは違うと自分は思っている
これが今の消えない
「日本と世界の戦後反省について」
高橋哲哉 東大助教授(当時)
フィリップ・モロー・ドゥファルジュ パリ政治学院教授(当時)
「リペンタンスとリコンシリエーション(改悛と和解)」99年刊
"Repentance et Réconciliation" written by Philippe Moreau Defarges
を引き
戦後反省(本文では改悛repentance)のグローバリゼーションが起きている(最下部に年表※網羅的ではない可能性)、
(後世の日本人が直接の戦争責任を負っているわけではないものの
この主に90年代に入ってからのグローバルな動きの中で
日本が迫られている戦後責任について理解する必要があるのでは、と高橋は当時している)
この「リペンタンスとリコンシリエーション」という本の中で「拒否されたリペンタンス」と言う1章があり
世界的に求められているリペンタンスを拒否する国として
トルコと日本の2国をあげている
(ちなみにトルコはオスマントルコ時代のアルメニア人虐殺。今も認めていない)
アジアでは日本とアジア諸国との和解に関して、少なくとも90年代前半、ポジティブな動きがあったという
戦争被害者として個人が名乗り、日本の側でも、それに応えようという運動があった
ところが95年あたりから逆流が起こってきたという
93年に細川首相が侵略戦争と植民地支配の責任を認める発言をしたことが直接のきっかけ
それに危機感を抱いた人たち、特に国会議員のグループが「歴史検討委員会」結成、戦後50年国会決議に反対する動きを強めた
結果として、決議はしたものの侵略・植民地支配の主体を明記せず,反省と謝罪の文言は「深い反省の念を表明する」となり,不戦の誓いもない
https://kotobank.jp/word/%E6%88%A6%E5%BE%8C50%E5%B9%B4%E5%9B%BD%E4%BC%9A%E6%B1%BA%E8%AD%B0-158980
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=125
その後はみなさんもご存知のとおり
自由主義史観、新しい歴史をつくる会と言う動きが出てきて、文化人、言論人などの側からナショナリズム(というか、ひいては日本の戦後責任否認)の動きが起きた
(99年時点で自由主義史観・藤岡信勝により南京大虐殺マボロシ説もすでに採られいる)
この人たちが大きなキャンペーンを敷いたため、世論に効いたと見られる
引き続き高橋曰く
90年代後半は世論だけでなく、マスメディア全体の雰囲気が、いまや時代はナショナリズムといった雰囲気であり
この雰囲気の強まりが99年第145国会で問題法案が次々通った背景にあった
(戦後反省年表)
70年代はじめ 西ドイツのブラント首相がワルシャワゲットーの前でひざまづいて象徴的な謝罪を行う
75年ごろ? ニュージーランド マオリとの関係について人権侵害の改悛(精算)の動き
70〜80年代 ドイツはパブリックに過ちを認めて可能な限り補償するという路線
95年 フランス・シラク首相 ドイツに占領されていた時代のドイツへの引き渡しを含む反ユダヤ政策を国家として初めて認め、謝罪
教会・警察なども、傍観・強力していた罪を謝罪
東欧の社会主義圏崩壊後 ポーランド・チェコ・ハンガリーの大統領や政治指導者 自国のユダヤへの迫害政策を謝罪
97年以降(ブレア首相になってから) イギリスはアイルランドに対し、150年前の飢饉の際に見捨てたことまで遡って謝罪
99年ごろ フランスがホロコーストの問題だけでなく、アルジェリア人への植民地支配に関してパリのアルジェリア人を弾圧した事実を認める動き
90年代(南アフリカのアパルトヘイト終了後) 南ア真実和解委員が作られる ツツ大司教がアパルトヘイト時代の人権侵害に関して 黒人の側、ANC(アフリカ民族会議)の側のテロ行為も含めて詳細な報告書を出している
90年代後半か 南米 チリやアルゼンチンの70〜80年代にかけての軍事政権時代の人権侵害について精算の動き
90年代 オーストラリア アボリジニとの関係について人権侵害の改悛(精算)の動き
「マイノリティの自由について」
同じく 坂本義和の言葉。
引用の字数が多いが、ことごとく近年向き合っている問題・昨年末からマストドンでやりとりしてきた内容にも通じる。
遅まきながら今こそ輝くことを思い、ここで共有する。
マイノリティの自由を認めない日本国家は、早晩、国際的にも孤立すると思います。また、それを認めない日本社会は、ますます荒廃していくと思います。ですから、そういう意味では、体制側に問題があるのですが、しかし、われわれがしなくてはならないことは、それに代わる日本社会をつくることだと思うのです。
そのためには、いま起こっている国家主義への回帰に、どのような歴史的根拠があるかを明らかにする視点に加えて、もう一つ、私が必要だと思うのは、未来から見るという視点です。
(中略)
21世紀にはいろいろな変化があると思いますが、その一つとして、早晩世界の各地で(中略)
一つの旗ではなくて、二つの旗、場合によっては国連旗とか、いくつもの旗を立てることが「普通」になってくる。歌もいくつもあるというのが未来の国家でしょう。それができない国家は、おそらく21世紀の国家としては欠格ではないでしょうか。(中略)
マイノリティの自由というのは、数量的な少数者の問題ではなくて、人間の良心の自由を普遍的に認めるのか認めないのか、という問題だと思います。言い換えれば、われわれ一人ひとりの人間としてのアイデンティティを認めるような社会に、われわれは生きているのかどうか。もしそうでないとしたら、それを変えなければならないのです。
一人ひとりのアイデンティティー私の言葉では「尊厳と平等な権利」にあたるのですが、それを互いに認め合う社会的人間関係を私は市民社会と呼んでいます。市民社会というのは必ずしも、すでにあるものだけではない。それはたたかう市民社会、つまり、自分をつくっていく市民社会です。それは、いつもマイノリティから始まり、だんだん連帯の輪を広げて、新しい社会をつくっていくプロセスなのです。
(中略)マイノリティの連帯を、どうやって強化していくかが、私たちの共通の課題だろうと思います。そのためには国内でのネットワークを強めていく。国旗、国歌、天皇制に関心を持っている人も、あるいは、人間のアイデンティティや人権を軸にして、」外国人の権利、女性の権利、高齢者や子供や身体障害者の人権などの問題にtpりくんでいる人びと、環境との共生や反戦・反核の課題に取り組んでいる人びとがネットワークをつくっていく。
具体的に取り組んでいる課題は多様ですが、共通するのは、人間らしいアイデンティティを確立していく、たたかう市民社会を目指しているということです。孤立感や無力感を超えて、こうしたネットワークを、どうつくっていくか。これが我々の課題なのだろうと思います。
と同時に、この問題は日本だけのことではありません。私も多くの友人が、いろいろな国におり、少数派として、人間のアイデンティティ、自分たちの尊厳と平等な権利のためにたたかっています。皆さんも、こうした人たちとのネットワークを、いろいろ持っておられると思います。
グローバリゼーションのなかには、(中略)市民的な規範のグローバリゼーションも、たしかに進んでいるわけで、それとリンクしながら、いろいろな理恵を出し合っていくことが、いま必要ではないかと思います。
私は「民主主義の危機」という言い方があまり好きではありません。(中略)「今こそ日本の民主化を」というとらえ方です。英語で言えば、"Redemocratizing Japan"でしょうか。
「マイノリティの自由について」
同じく 坂本義和の言葉。
引用の字数が多いが、ことごとく近年向き合っている問題・昨年末からマストドンでやりとりしてきた内容にも通じる。
遅まきながら今こそ輝くことを思い、ここで共有する。
マイノリティの自由を認めない日本国家は、早晩、国際的にも孤立すると思います。また、それを認めない日本社会は、ますます荒廃していくと思います。ですから、そういう意味では、体制側に問題があるのですが、しかし、われわれがしなくてはならないことは、それに代わる日本社会をつくることだと思うのです。
そのためには、いま起こっている国家主義への回帰に、どのような歴史的根拠があるかを明らかにする視点に加えて、もう一つ、私が必要だと思うのは、未来から見るという視点です。
(中略)
21世紀にはいろいろな変化があると思いますが、その一つとして、早晩世界の各地で(中略)
一つの旗ではなくて、二つの旗、場合によっては国連旗とか、いくつもの旗を立てることが「普通」になってくる。歌もいくつもあるというのが未来の国家でしょう。それができない国家は、おそらく21世紀の国家としては欠格ではないでしょうか。(中略)
マイノリティの自由というのは、数量的な少数者の問題ではなくて、人間の良心の自由を普遍的に認めるのか認めないのか、という問題だと思います。言い換えれば、われわれ一人ひとりの人間としてのアイデンティティを認めるような社会に、われわれは生きているのかどうか。もしそうでないとしたら、それを変えなければならないのです。
一人ひとりのアイデンティティー私の言葉では「尊厳と平等な権利」にあたるのですが、それを互いに認め合う社会的人間関係を私は市民社会と呼んでいます。市民社会というのは必ずしも、すでにあるものだけではない。それはたたかう市民社会、つまり、自分をつくっていく市民社会です。それは、いつもマイノリティから始まり、だんだん連帯の輪を広げて、新しい社会をつくっていくプロセスなのです。
(中略)マイノリティの連帯を、どうやって強化していくかが、私たちの共通の課題だろうと思います。そのためには国内でのネットワークを強めていく。国旗、国歌、天皇制に関心を持っている人も、あるいは、人間のアイデンティティや人権を軸にして、」外国人の権利、女性の権利、高齢者や子供や身体障害者の人権などの問題にtpりくんでいる人びと、環境との共生や反戦・反核の課題に取り組んでいる人びとがネットワークをつくっていく。
具体的に取り組んでいる課題は多様ですが、共通するのは、人間らしいアイデンティティを確立していく、たたかう市民社会を目指しているということです。孤立感や無力感を超えて、こうしたネットワークを、どうつくっていくか。これが我々の課題なのだろうと思います。
カムアウトされた事ないから自分は誰にも信用されてない みたいな傷つきに繋がりやすいんだよね…
えてしてこういうのってかなり気をつけて生きてる人にばかり突き刺さるから どうしたもんかな…と思ってる。
ただ「お前みたいな奴に言うわけないだろ!」というような皮肉を言いたくなる気持ちもわかるし、そんな事言うなとは思わない。ほんまに全然わかる。
ただなるべく自分は別のアプローチをしていきたいんですよね。
くっそしんどいんでぼちぼち、ですけど…。
「会計年度任用職員にも労働基本権を!」訴訟に寄付しました。
「かいけいねんどにんようしょくいんにも ろうどうきほんけんを!」そしょうにきふしました。
https://www.call4.jp/info.php?type=items&id=I0000116
金額は伏せさせて頂きますが、
団結できる世の中のほうが、
素敵ですよね……
きんがくはふせさせていただきますが、だんけつできるよのなかのほうが、すてきですよね……
「ファシズムの教室」という本。
先日「ひとは間違えないと学べない」とここで発言したが、
この本ではわざと集団が暴走しやすいシチュエーションを学生たちに実演させること(同じ服装で同じことをやらせる、リア充を集団で攻撃させる、など)でそれを叶えた内容になっていて、タイムリーにもほどがある。
私のフォロワーさん中心に、ファシストの気持ちが整理できない(わかりたくもない)、というひとは多いと思われる。そんな人とこそ共有したい。
一体感・爽快感・高揚感。
これらは通常日常のすぐ隣にある
(祭・応援・ライブなど)
おそらく場合によっていじめもこの一例になりうるだろう
これらの感情と権威とが結びついた時にファシズムが生まれる
そして責任感の麻痺が起こる。
つまり
・「上からの命令だから」「みんなやっているから」
・従ってさえいれば自分の行動に責任を負わずに済む
ゆくゆくは
・従ってさえいれば何をしても責任に問われないという「自由」を感じるようになる
いつからか、攻撃・加害も平気になる
責任感のマヒから正義の暴走が起きていく。
・敵対者は悪(一体感)
=攻撃は正義(爽快感)
=自分たちは善(高揚感)
「自分たちは善」という感情は仲間を庇い、自分も守られたい。というまちがった連帯・一体感につながるという意味で自省のタイミングが来て疑っても、結局再びこれを強化してしまうと思われる。
・抑圧された攻撃衝動を発散できる
・正義の執行者として自己肯定感・万能感まで湧いてくる
こうしてファシズム側にとって
的や異端を攻撃することは
胸躍る体験にもなり得ていると考えられる
そしてこれは
近年のヘイトスピーチや
排外主義者も見出している「魅力」ではないかとの推察。
筆者の田野大輔氏は
流されず異を唱える力を育むためにも
「体験学習を通してこの危険性に気づかせる取り組みがより一層必要」と結論づける。
「ファシズムの教室」という本。
先日「ひとは間違えないと学べない」とここで発言したが、
この本ではわざと集団が暴走しやすいシチュエーションを学生たちに実演させること(同じ服装で同じことをやらせる、リア充を集団で攻撃させる、など)でそれを叶えた内容になっていて、タイムリーにもほどがある。
私のフォロワーさん中心に、ファシストの気持ちが整理できない(わかりたくもない)、というひとは多いと思われる。そんな人とこそ共有したい。
一体感・爽快感・高揚感。
これらは通常日常のすぐ隣にある
(祭・応援・ライブなど)
おそらく場合によっていじめもこの一例になりうるだろう
これらの感情と権威とが結びついた時にファシズムが生まれる
そして責任感の麻痺が起こる。
つまり
・「上からの命令だから」「みんなやっているから」
・従ってさえいれば自分の行動に責任を負わずに済む
ゆくゆくは
・従ってさえいれば何をしても責任に問われないという「自由」を感じるようになる
いつからか、攻撃・加害も平気になる
責任感のマヒから正義の暴走が起きていく。
・敵対者は悪(一体感)
=攻撃は正義(爽快感)
=自分たちは善(高揚感)
「自分たちは善」という感情は仲間を庇い、自分も守られたい。というまちがった連帯・一体感につながるという意味で我に返利、疑っても結局再びこれを強化してしまうと思われる。
・抑圧された攻撃衝動を発散できる
・正義の執行者として自己肯定感・万能感まで湧いてくる
こうしてファシズム側にとって
的や異端を攻撃することは
胸躍る体験にもなり得ていると考えられる
そしてこれは
近年のヘイトスピーチや
排外主義者も見出している「魅力」ではないかとの推察。
筆者の田野大輔氏は
流されず異を唱える力を育むためにも
「体験学習を通してこの危険性に気づかせる取り組みがより一層必要」と結論づける。