なんとなくまとめると、
パソコンは過去との記録を通じた繋がりを持てる
スマホはセーブができないゲームみたいなもの
そんでそっから思ったのは「語感で通じる外部物理時空間(つまり”物自体”の総体としてのせかいみたいな感じ)ってのは、言わば巨大な「そろばん」みたいなものなのでは?黒板やパソコンでもいいよ
結局、自分がこのせかいに与えた影響ってどこかに必ず残ってるんでしょ?記憶から消えても記録にはどこか残っているはず
もっというと外部なのか?という問題もあるけどね
脳梁とかで自立的に動ける脳の部位が繋がっているように五感で繋がってるだけで全て連続した一体の巨大な思考体系なのでは?
「記憶」と「記録」を区別する必要があるのかどうか、そこも分からなくなってきたぞ
つまり”五感”で繋がる「記憶」が「記録」とかそんな可能性はない?
死んでも記憶は消えない
そんな言葉がさっきそんなことを考えていてふっと頭の中でよぎったのでこのトゥートの中にもちゃんと記録しとくわ
五感越しの記憶が記録で、その手前の記録が記憶
ってことかもね
あー、あと忘れる前に三日くらい前の #入浴禅 で思いついた内容をちゃんと書いてしまおっと(記憶の再現度は限定的かもしれないけど)
数学は「せかい統合失調」的な分野であり「せかい分裂」ともいえる?(//それぞれ元ネタは”せかい”ではなく”自意識”や”(自分の)精神”を病名の意味の対象にしていると思われる「統合失調症」や「精神分裂症」です)
数学の本質は「割り算」であり、まず「せかい」を「割る」ことから始めた分析学問である
しかし、その「割る」という行為は還元主義的な古代インド哲学や原始仏教の「梵我一如」的思想とは異なっており、それら「割られたせかい」はあくまでも主観の産物であるということ
総体としての「せかい」を、”割る”ことから数学は始まっている
//眠いし忘れたしでかなり文章が曖昧になってしまっているけど一応投稿しておきます #き
#き #哲学認識 #仏教認識 #数学認識 #数理認識 #入浴禅
実際だからこそ日本人は貧困だとかそういう弱点に帰属意識を持つべきじゃないだろう
言い訳を誇ってイイワケがないという話 #仏教認識
AIと動物や貧困国との狭間で日本人はそのどちらにもなることができずその上でひたすら高みを目指し続けなければいけないのよ #だからこそ精神
人は努力して登ることはできてもそこから落ちることはできない
学歴と一緒やな(学歴を新たに追加することはできても一度ついた学歴を消すことはできないという事実 過去は変えられないが未来は変えられるみたいな話と同じ 除籍とかされても入学してそこにいたという情報は変わらんからね) #自己啓発
人生でできることはほとんど足し算だけ、仮に掛け算はあったとしても引き算はできない