面白いnote記事を読んだので感想を書いてみました。
フレームワークを使った分析には、ちゃんとした分析資料もあれば、「分析っぽい資料」もある。その違いはどこか? 「分析っぽい資料」にならないようにするためには、どんな点に留意する必要があるか? という話。
この記事に書かれている、「分析っぽい資料」を生む「フレームワーク好き」という「危険な傾向」って、フレームワークが「儀式」化することなんじゃないか? という感想です。
#note #フレームワーク #儀式
https://note.com/ichinosehiroki/n/ncb39fda5569d
ある記事を読んでいて見かけた「アジェンダ・シアター」という言葉(というかネーミング)が面白いなと思いつつ、「これって、ようするに会議の「 #儀式 」化ってことだよな」と思った、ということについて書いてみた。
「アジェンダ・シアター(Agenda Theater)」って、一言でいえば「『儀式』としての会議がもたらす弊害」のことだと思う。
「人はアジェンダの作成に時間と労力を費やすと、そのアジェンダが付加価値をもたらすと考えがちだ。しかし、研究結果を見れば、会議の改善という点でアジェンダが役に立つか否かは完全に運次第である」
「アジェンダは単に誤った達成感をもたらすだけでなく、他の業務で有効活用できたはずのリソースを奪い、チームに害を与えている可能性がある」
どうすれば改善できるのか?
「会議の望ましい成果について考えるよう促すだけで、会議の目標が明確化される」し、「達成したい成果を自分で理解できれば、それを指針として、会議の計画や運営に当たることができる」
そりゃそうだよね、という感じだけど、「望ましい成果を生み出すためには、しっかりアジェンダつくらなきゃ」思考を脱却するのがたいへんなのだと思う。
#会議 #生産性 #儀式 #ファシリテーション
https://dhbr.diamond.jp/articles/-/8983