“喩え話”を用いた対話的手法というのは、あくまで相手に、遠回しな表現であることを前提に、できうるなら知っておいてほしいとか、理解しておいていただけるとありがたい的な時に利用すべきあり、包括的セクシュアリティ教育のような、必ず人間のことを理解しなきゃならない教育科目でそれをやるのは、非常におかしいこと。伝える側の意気込みを疑われ、理解度がぜんぜん違ってきてしまう。
#包括的セクシュアリティ教育 #性教育
包括的セクシュアリティ教育を、パンに喩えて教えるみたいな本があるらしいんですが、わかりやすく教えるという観点では肯定しつつも、私はあまり、セクシュアリティ教育自体を、モノに喩えて教えるやり方はすべきではないと思っています。人間の話は、あくまで人間の話としてすべきであって、結局コウノトリ云々とか、おしべめしべの喩え話に近い、旧態依然の時代に逆戻りしてしまうから。もういい加減に純潔教育から脱却しないと。
#包括的セクシュアリティ教育 #性教育