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足がないのは幽霊だっけ。正体がないのは酔っ払いだね。
カウンターに置いたグラスの底に、いい感じの砂丘が見えてる。砂を運ぶ風が低く流れてる。金色の浅瀬。それは川のように、流れているね。中を歩く自分の、膝から下が、かすれてみえるんだ。
「這うような気流があるんでしょうか」と誰かが言った。砂丘の浅瀬を一歩踏み出すと、そう言ったのが誰かも、思い出せなくなってしまう。
砂の風は途切れがない。丸いグラスの底にある起伏、金色の砂丘にいる。ガラスで周囲は囲われて、それが天球で夜空。グラスの表面についた白い傷が、細く筋を光らせ、夜空の表面を流れている。
夜の砂漠を歩いている。足元では、砂を巻き上げた風が流れて、えっと、足がないのは幽霊だっけ。ははは、正体がないのは酔っ払いだよ。
小さな世間をグラスごと持ち上げると、指の形の影が檻の様に、情調を取り囲んだ。風は消えた。砂は消えた。不思議な歩みも消えたが、中にいたはずの自分も、一緒になくなってしまった。
──────『BAR・ボトルシップ』©︎ 伊津 樹 @129idzu
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目を開けた時には手遅れで、朝はとっくに走り出していた。始発のベルは聞こえなかった。でも朝は町を乗せて、加速していた。
チェーンが道の氷を砕く音。あちこちから、音が、蒸気上げるように増えていくのがわかるよ。きっとマフラーの隙間からも白く、おはようの声が集まって、このさざめきは増えてくんだ。
朝の先頭車両には乗り遅れ。
でも飛び起きて、急いで窓を開けたら、冬晴れの青空が直上にだけ円く抜けていた。この町の周囲を、ゆき雲がぐるり、取り囲んでてさ。
ああ、そうだ。この町だけが単独、トンネル通過中だ。
車窓から身を乗り出すように出窓から、この朝の後方を見たら、まだ夜がさ、遠すぎて暗すぎの夜はさ、トンネルの後方でぽっかり口を開けていたんだ。
加速する、始発の町におはようが増えてる。髪を引っ張るような風は、黒い夜の穴に吸い込まれている。
加速する町で、加速する風が、毛先を引っ張って、あの暗い穴の、あの黒い昨日の、残る場所を指している。
──────『始発の朝』©︎ 伊津 樹 @129idzu
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沈む陽を追いかけて海へ行く。出来事は、みんな遠くへ行ってしまうけど、今行ってしまう太陽のこと、見に行くようにする。
微課金程度で、すぐ着く終点。駅を出れば、海岸が広がる。
太陽の明るい影が、濡れた砂浜へ沈み始めている。
急いで駆け出す。と、柱の影から、呼び止める声がして、振り返れば君が、「何かを敵に回したんだ」って顔をして、でもそんな風には言わないで、黙ったまま駅舎の柱にもたれかかっている。
砂浜を踏む。遅れてついてくる君も、波のようにゆらゆら砂浜を踏む。
頭の中で、夢の話をする。夢の中でするように、黙ったまま、たくさん話す。
足跡をつけている。君は付かず離れずのところを歩いて、増える足跡が、砂の上に残っていく。
黙ったままの会話が、たくさん、砂の上に残っていく。
出来事は、みんな遠くへ行ってしまう。
つけた足跡も、波の音のなかで崩れて、水平線と変わらないところまで、行ってしまうことを知っている。
──────『話さない二人』
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凍結した雪の町。窓に面した席でバリューセット注文して、駅前見下ろしてた。ばらばら、人や人や人たちが、駅舎から吐き出されているの、見えていた。
凍った道路で、みんな転んでる。転ぶ時だけ、音、しないんでみんな、宙を舞って一瞬の、きらめく風になってる。つむじ風踊り踊る。
駅舎は口を開けたまま、その働き止めちゃって、復旧は未定です、のアナウンスくり返す。人々は、駅前で回転し、走馬灯のように強く短く、その体鳴らすようにしてる。太ったレコードとか、華奢なディスクとか、ペアになったカセットテープになって、半生の再生をしてる。
へらへら笑い続けてたら知らず知らず泣いちゃうんだね。もう、軽薄や軽率の深厚な仕組みに、学ぶことの多い今日この頃です。駅前の風になるのは───そう、待とうって、軽佻浮薄にって決めたんだから、机にバリューセットお供えし、両手はポケット、インして駅前へは非参戦。つむじ風踊るのを見てる。
──────『つむじ風踊る』
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