ちょうど去年の今頃だったっけな?
今では #原稿性欲論 のタグでまとめている「作品」と呼んでいるもんを思いついてアイデアを練り始めたのは
別にたいそうなもんでもなくて正直ゆっくり解説みたいな感じであのゆっくりボイスとポーランドボール的なすごい緩い絵で描こうと思ってただけなんだよな
けど内容そのものは濃く煮詰めようとすごい色々考えていた
やっぱりそういう目標って大事だよな
今はなんか自分の中でコンプレックスが弱くなって動機が霞んでしまったのかなんなのかであんまり目標が見えなくなってしまっているけどもう一度なんか動画作ろうとか考えてみようかな
やっぱりそういう目標自体が一つの”場”になり得るしなんか単純に楽しいもんな
自分が考えていること、考えてきたことをちょっと動画にするための活動をほんまに始めないとあかんわこれ
Twitter論で前に「Twitterで成功するためにはTwitterの外で頑張らないといけない」みたいなことを書いたけどトゥートするってことに関しても同じだな
ていうか世の中全部そうだな
俺が創ろうとしていた "作品(世間的にはその水準に達しているとは言われないだろうが)”は前者の「第二次世界大戦」を、あるいは「古墳・平安時代」をも含めた両方をテーマにしたものだな
#原稿性欲論
そういう意味で俺の無意識の文化的創造性の向かうベクトルは間違っていなかったということだ
自分自身の需要と世間の需要が被るってことは時としてあるからね
自分の供給が世間の需要と合致するかは置いといて少なくとも自分自身の需要に合致した作品は自分自身の手によって供給されるのものなのでは?
#時事ネタ感想文 #社会認識 #文化認識 #存在認知戦随筆 #存在認知戦術 #存在認知戦論 #原稿性欲論