現代日本の政治的諸問題に立ち向かうべく,第2次大戦後アメリカから憲法を通じて与えられた平和主義,個人の尊重,人権擁護といったお題目を唱えることに,果たしてどれだけの有効性があるのか。極めて疑わしいと思う。そもそも当時の米国がそんな理想とは程遠い国だったのだから。日本に伝えられているだけでも,エーリッヒ・フロムやシモーヌ・ド・ホーヴォワールなどの証言がある。私が #読書 のタグを付している諸投稿 [https://mstdn.io/@mr_absentia/tagged/%E8%AA%AD%E6%9B%B8] をご覧あれ。
日本の野党って - 支持者も含めて - 万年Bクラスのプロ野球チームのようなものじゃないのか。負けても負けても本気で悔しがることがなく,勝つための現実的具体的な方策を考えることもなく,次がある,次はがんばろう。こうしてこの国の政治は着実に劣化を続けている。今の自民党などは,野党側に少し知恵者がいれば簡単に潰せるだろうに,それが絶望的に高いハードルに見えてしまうのはどういうことなのだ。
国政選挙のたびにネット上では反自公のユーザーたちが,選挙に行け,投票は公務,棄権や白票は罪悪…といったような調子で,ひとびとの罪悪感を煽りたてながら動員に狂奔する。この20年ぐらいを振り返って,これで一体どれだけのポジティヴな変革があっただろうか? 率直に言って私などは徒労感に襲われるばかりだ。
選挙に行きたいヤツは行けばいい。私自身は投票に特段の政治的メリットを認めない限りたぶん行かないだろう。これは憲法上の権利と自分では理解している。選挙権に限らず,あらゆる権利には行使しない権利が含まれる。これを人民の敵の如く非難する輩は全体主義者だ。