「戦国大名の外交」
戦国大名にとって同盟とはすなわち和睦である。互いに血判入りの書状を交わすことで和睦の証とした。血判は同盟を破った場合に神罰を受けるという誓いの印であり、それが大名本人のものであるという証明のため使者の前で捺すのが習わしであった。なお同盟の破棄にも書状を送るのが一般的であり、いきなりの騙し討ちは当時も外道の所業とされた。当時の同盟は婚姻や養子など人質を送るのが常であり、また同盟締結に尽力した国衆などの面子を潰すことにもなるため、しばしば家中の争乱の原因にもなった。本能寺の変についての四国原因説は信長の方針転換により長宗我部との仲がこじれて織田の対長宗我部の窓口役だった明智光秀の面子が潰れたことを要因としている。
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tokumeiAsan RT @KotonohaRondan: 【放送中】呉座さん「テロリズムのようなものは一般の興味関心は犯人の動機になる。陰謀論は犯人の動機を説明したいと考えた時に出てくる事が多い。大事件を起こした犯人が何を考えていたかわからないではしっくりこない部分が人間の心理としてある」#呉座勇一 #河野有理 https://twitter.com/tokumeiAsan/status/1549164462581563393