あー、あと忘れる前に三日くらい前の #入浴禅 で思いついた内容をちゃんと書いてしまおっと(記憶の再現度は限定的かもしれないけど)
数学は「せかい統合失調」的な分野であり「せかい分裂」ともいえる?(//それぞれ元ネタは”せかい”ではなく”自意識”や”(自分の)精神”を病名の意味の対象にしていると思われる「統合失調症」や「精神分裂症」です)
数学の本質は「割り算」であり、まず「せかい」を「割る」ことから始めた分析学問である
しかし、その「割る」という行為は還元主義的な古代インド哲学や原始仏教の「梵我一如」的思想とは異なっており、それら「割られたせかい」はあくまでも主観の産物であるということ
総体としての「せかい」を、”割る”ことから数学は始まっている
//眠いし忘れたしでかなり文章が曖昧になってしまっているけど一応投稿しておきます #き
#き #哲学認識 #仏教認識 #数学認識 #数理認識 #入浴禅
そんでさっきちょっと面白いこと思いついた
『Xに知られていないYはヤバい』
(Xには全記憶が代入可能、Yには全存在が代入可能)
これを #存在認知戦論 の公理の一つにするか?
Xに代入できるのは「全記憶」じゃなくて「全魂(当然一般名詞的な意味ね)」でもええけどな
けど、パソコンやスマホには”魂”はないので、”全魂”よりも”全記憶”の方が範囲が広い気がするけど、ただそれだと死んだ人とか記憶がない人とかの扱いが分からなくなるのと、コンピュータの記録も結局生命に記憶されるためにあるので、やはり全魂や全生命のがいいのかも
『Xに知られていないYはヤバい』
(Xには全魂が代入可能、Yには全存在が代入可能)
とするか?やっぱ(”全生命”と”全存在”て音合わすのも良いけどね)
あるいは公理を複数設けるのもいい
第一公理とか第二公理とか
とりあえず明日移行この辺はまた考え直そう #無知の鞭
今のところの暫定案は”全記憶”パターンでいく
#起源主張用 #論理認識 #哲学認識 #論理論 #無知の鞭 #存在認知戦論