https://www.wacoca.com/anime/1409310/ 【第2話】聖戦士ダンバイン〔サンチャン〕 #オーラバトラー #オーラ力 #サンライズ #シーラ・ラパーナ #ショウ・ザマ #ダンバイン #チャム・ファウ #ドレイク・ルフト #ニー・ギブン #バーン・バニングス #バイストン・ウェル #フェラリオ #マーベル・フローズン #中原茂 #坪能克裕 #宮武一貴 #富野由悠季 #川村万梨阿 #池田繁美 #湖川友謙 #矢立肇 #聖戦士 #聖戦士ダンバイン #若本紀昭 #速水奨 #黒騎士
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機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ 【4K ULTRA HD Blu-ray】
#富野由悠季
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富野監督がサンデーステーションで語った
「絶望論で未来を語るのは簡単だ。だけどそれを未来ある子どもたちに伝えてはならない。」
という言葉。ずっと前から同様のこと言ってるのよね。いろんな人が見るであろう公共の場に表現/作品を送り出す者の矜持なんでしょう。
アニメージュ1988年4月号
「時代の無節操と逆襲のシャア 富野由悠季 現代日本を語る」
インタビューの最後はこう締めくくられる。
AM
では最後に、そのような社会観・文化観というのは「逆襲のシャア」の中で、どのように反影されているのでしょうか。
富野
作品の中に、これらぼくの意見がメッセージとして入っていることはありません。むしろ、そのような精神土壌をふまえた上での、あこがれを描いています。ぼくは人類に悲観などしていませんから。
富野監督がサンデーステーションで語った
「絶望論で未来を語るのは簡単だ。だけどそれを未来ある子どもたちに伝えてはならない。」
という言葉。ずっと前から同様のこと言ってるのよね。色んな人が見るであろう公共の場に作品を送り出す者の矜持なんでしょう。
アニメージュ1988年4月号
「時代の無節操と逆襲のシャア 富野由悠季 現代日本を語る」
インタビューの最後はこう締めくくられる。
AM
では最後に、そのような社会観・文化観というのは「逆襲のシャア」の中で、どのように反影されているのでしょうか。
富野
作品の中に、これらぼくの意見がメッセージとして入っていることはありません。むしろ、そのような精神土壌をふまえた上での、あこがれを描いています。ぼくは人類に悲観などしていませんから。
「SNSは人間のエゴ全部を飲み込めやしない!」
「人間の知恵はそんなもんだって、乗り越えられる!」
「ならば、今すぐ愚民共すべてに叡智をさずけてみせろ!」
「貴様をやってから、そうさせてもらうッ!」
千住明 機動戦士Vガンダムサウンドトラック
錯覚する予兆(または同性愛)
BGMタイトリング #富野由悠季
#nowplaying
https://open.spotify.com/intl-ja/track/4AKc5fTU1uk7qhCIrxZpUj?si=d5c72caee4204b1b
割れた鏡が映しだすいくつもの像のようだ。"ガンダム"の中にもまた、ひとことでは語れない戦争の姿がある。富野監督が戦争に、それに関わる人間関係に、こだわる理由というのはなんだろう。でもそれは、監督自身にも答えられない、解らない理由なのかもしれない。もうひとつ、"ガンダム”で重要なのは、世界の変化だ。ひとつの世界が終わり、新しい世界が生み出されるのに伴う、価値観や考え方の変化だ。誰も最後まで、変わらぬ人間ではいられない。何かを失い、また何かを得る。 そこにはまた、思春期の子供から大人へ向かう少年・少女たちの成長の儀式もある。もしかしたら、成長に伴うイニシエーションが消えてしまった現代社会の中で人々は、 その成長の儀式を再現するために、ガンダムを愛し、必要としてるのかもしれない。"ガンダム"の中にある戦争や戦闘、世界の変化や再生はまた、少年期・少女期の成長するあやうさと共鳴しながら、ふるえながら、人生の避けがたい生と死の深い淵を見つめさせてくれる。
今のところ、キングコングと、小人(リリパット)の国へ行ったたガリバーぐらいしか思いつかない。日本人は、巨大なキャラクターが好きなんだろうか。ゴジラもウルトラマンもガンダムも、すべて戦後の産物だ。どの物語にも、戦争や戦闘が関わっている。ここに何か共通の、巨大である理由"があるのだろうか。その秘密とは何だろう。それは戦後の日本人の、戦後後遺症としての物語なのだろうか。 巨大なものに投影される日本人の自我は、神を見失った国土に超越者を求めて、肥大化したのだろうか。昭和十六年生まれの富野監督はものごころついたころには終戦を迎えており、戦争を知らない子供たち”の世代に近い。 この世代は一方では平和憲法の理想と理念に引っぱられ、 一方では安全保障条約の下でアメリカの核と軍隊に守られ、また、片方では東西冷戦の中で絶えず最終戦争の恐怖を感じ、片方ではベトナム戦争を見て混乱するといった、四方に引き裂かれ収拾のつかない矛盾の中で、体験しなかった戦争について、平和について、考えなければならなかった。戦争も平和も分裂し、ひとことで語れない。
"ガンダムの“愛される理由〟
萩尾望都
"ガンダム”に、興味がある。
同時に、原作者であり動画の監督でもある富野由悠季という人の、戦争観、人間へのこだわりにも興味がある。“機動戦士ガンダム"というタイトルで二十年前に始まったこのロボット・アニメーションは、マニアックとも言えるファンの熱気に支えられ、"ガンダム”というキーワードをもとに、主人公、時代設定を変えて、多岐にその世界を広げていった。
長期にわたってこれほど支持され愛された "ガンダム"とは何だろうか。 "ガンダム”には何か特に "愛される理由"というのがあるのだろうか。その秘密は何だろう。活劇物で長期にわたって根強い人気を博したというと"ゴジラ”をすぐに思い出す。あの巨大な恐ろしく悲しい怪獣。
そして "ウルトラマン" を思い出す。変身して宇宙怪獣と戦ってくれた、あの巨大な正義の味方。そして、 "ガンダム”という巨大ロボット。 実は十八メートルという設定だが十分巨大に見える。 日本以外の、世界の物語の中に、こういう巨大なキャラクターは登場するのだろうか。
親子を当たり前の関係にするためには、われわれ大人が、より明確な自意識をもって、人らしい『情』を、自身のなかに育てなければならない時代になった、と実感するのです。
それが、ウッソが、ぼくにくれたメッセージでした。
ウッソという名前。
ぼくのなかで、直感で生まれた名前だったのですが、ウソっぽいものが充満している時代の申し子としてのウッソ、という意昧もないではありませんでした。
そのウッソ・エヴィンが、身体を張って教えてくれた人の実感というものは、なにをおいても大切なことだと痛感するのです。
親子を当たり前の関係にするためには、われわれ大人が、より明確な自意識をもって、人らしい『情』を、自身のなかに育てなければならない時代になった、と実感するのです。
それが、ウッソが、ぼくにくれたメッセージでした。
ウッソという名前。
ぽくのなかで、直感で生まれた名前だったのですが、ウソっぽいものが充満している時代の申し子としてのウッソ、という意昧もないではありませんでした。
そのウッソ・エヴィンが、身体を張って教えてくれた人の実感というものは、なにをおいても大切なことだと痛感するのです。
そして、物語を展開してわかったことは、親の欲とか理想を子供になげかけすぎたとき、子供は被害者になる、という当たり前の発見でした。
このことは、プランニングの段階でも、想像はついていたのですが、この一年という製作期間をつうじて、この子供の痛みが、実感としてわかったと思っています。
そして、世間のことを考えていったときに、親子にとって、いまの時代は、とても険悪な時代になってしまって、われわれが、実生活のなかで、当たり前の親子をやるのは、ますます難しくなるのではないか、と痛感するようになったことです。
現在は、ある部分発生した暮らしの余裕というものから、われわれは、より豊かに子供に接する心をもち、子もまた、子供として充足された生活を保証されていいはずなのです。
しかし、現実は、そうではないのは、みなさんが、ご存知のとおりです。
なによりも、自分自身が、たっぷりとした親として、子供に接することができたのか、といわれれば、ぽく自身、慄然とせざるを得ないのです。
大人の独善とはいわないまでも、欲を子供に振りかけすぎなかったか、まちがいのない道のつけ方を示してやれなかった、といった疑心にとらわれ、なによりも、忙しさを口実にしてきたという反省があります。
そういうぼくは、ウッソ・エヴィンというキャラクターをとおして、子供の心をのぞいてみたいと欲望しました。
ですから、作り方としては、まず、親としての理想をウッソにすべてかけてみました。
そのうえで、ウッソから、親の欲を見上げてみたときに、なにが起こるかという構造で、物語を考えたのです。
ウッソの教えてくれた親子のこと
Vガンダムでは、親子の問題をテーマにしました。
ぼくも、二人の娘を育てる経験を得たことから、自分が子供のころに、うすうす感じていた親と子の問題というものを、親の側からみてみた、ということです。
むかしは、といいますと、若い方は、いいかげんにしろ、とおっしゃいましょうが、聞いて下さい。
貧しかった時代と保健衛生が不十分であったむかしは、人びとは、暮らしていくだけで精一杯で、子を育てること自体が難しかったのです。
出産自体が、母親と子の命をかけた作業であったのですから、七五三という祝い事が行なわれた背景にある人びと心理は、やれ三歳まで育ってくれたか、着物の上げ糸をとるほどに成長してくれたか、元服をさせねばならん、という慶事であったのです。
その時代の親たちは、そういう慶事以外で、子供たちにかかわり煩う暇もないほどに、暮らすことに精一杯だったのです。それでも、親子の関係は、きちんとありました。