ここら辺の文脈に追記するけど、adoの派生みたいなニコニコ関連のプラットフォームの広告で流れる曲って「とりあえず目立ちたいので騒ぎました」って感じの無思考な「迷惑系ソング」とも言うべきうるせえのが多いよな
昔から洋楽はリズム重視、ジャップソングはメロディ重視と言われていたけど、まさにそのジャップソングの凡庸な延長にあるような、メロディの高低差を機械で弄りまくった迷惑系ソング、ああいうのほんといらんわ
ジャップの悪いとこ詰め込んでるわな
馬鹿で軽薄なとこが煮詰まってる
さすが歴史を通じてろくにまともな哲学者や思想家を輩出できず無様にアメリカに二つも原爆落とされて更に中国にまで”原神爆弾”投下されてアニメというアイデンティティ奪われて令和になっても『三度目の被曝』( #日本人いじめ #誹謗中傷訓練 )しただけの民族なだけあるわ
長期的思考ができず全てがその場、その場なんだよな
その場凌ぎで考えてますって感じの短絡思考が多い
だから原爆三つも落とされるのよ
とりあえず、希少資源である音符を浪費する楽曲は「迷惑系」として斬り捨てていくのでね #誹謗中傷予告
#存在認知戦き #審美眼 #誹謗中傷予告 #誹謗中傷訓練 #日本人いじめ
まあ、Nafoの”中の人”みたいな臭い連中が「犬に自己投影してそう」ってのがあった上で、やっぱり彼らの本心からの象徴ってのはこれなんじゃないかってのがおぼろげながらちょっと見えた
これかこれのどっちかやろなと
要はNafoみたいな臭いことやってる奴らが彼らがウクライナにとって都合のいい情報流してるからウクライナ政府を敵視せれば良いとかそういうことでもないと思うのよ
彼らはそんなところで分かりやすく正体表さない
柴犬もウクライナも関係性を明らかにしてる時点でそれは”中の人”にとって反撃されても痛くない場所なのよ
要するにトカゲの尻尾みたいな部分
そんなとこ攻撃してもしょうがない
俺はもっと彼らが大切なものを傷付けたい
より深く自己投影して感情がリンクした直接的象徴物を踏みにじりたい
けどそれはアメリカ国旗とかそういうことでもないと思う
ちょっとずつ迫っていきたいね
そんでそのイメージをダサく滑稽にしてやろうや
で、つまり要するに彼らはある対象の持つイメージを勝手に私物化して、おそらくはNafoの背後には政治権力がいるにも関わらず本来であれば知的財産権などで保護されてもおかしくないような対象を勝手に利用してるっていうこと
それで相手に迷惑がかかるかとかは考えない
一時期日本のネットで流布されて叩かれていた「外国で悪いことをする時は日本人だと言っている」っていう韓国人の嘘か誠か分からんがそういう画像でやってることと同じなんだよ
自分は正体隠して匿名で、そんで明らかに印象悪くするようなことする時だけアニメ絵だの柴犬だの利用してるってことよ
けどそれでもそれらシンボルを使うってことは少なくともある程度は柴犬、というか”犬”みたいな連中にシンパシーを感じるてると思うのよね
自分自信が組織の犬的などうしようもない立場だから
なんで普通に腹立つのでこの憂さ晴らしはそこら辺にいる犬にぶつけてこうかなと思う
犬ってのはお前らの自覚的生き様そのものなのよ
だからあえてシンボルとして”犬”を採用したんだろ?
だから犬を攻撃する、当然の話
調べてみたら、「笑顔」で思い浮かんだ村上隆の作品(岡田斗司夫によるとある時代を切り取って象徴したものらしい)ってまだ「目を開いて笑っていた」んだよな
いつからか日本の絵の表現は「目を瞑って笑う」ようになった
現実に目を背けている態度をそのまま表しているようで示唆的かつ象徴的
俺は現実も向き合いながらそれでも空元気ででもキラキラ目を輝やかせながら笑っている時代の方が好きだった
なので「目を瞑り笑う者共」に対するイメージ汚染のための #認知戦 を仕掛けていきたいわ
現実から目を背けてニタニタしててきっしょい的な
ま、村上隆の作品性とか全然知らんけどね
むしろこの絵は皮肉や揶揄を表してる可能性もある
けど、それでも目を見開いているってことが重要
結局、目を見開いた笑顔ってのは時に現実を受けての微笑みってだけじゃなく、時には必死で生きる上での自己防衛的な背伸びした生命性の発露だったりするんだよ
首噛まれた鹿がなんとか捕食者から逃れようとジタバタ抵抗してる感じのね
俺はそっちの方に美、生命のきらめきを感じるのよ
村上隆
マストドンのアイコンに使われるようなアニメ絵は普通に癒される部分もあるのに、ソシャゲ広告やV野郎のサムネに不快感を感じるのって、もはやああいうアニメ絵が「おっさんのスポークスウーマン」として利用されているだけの道具、言わば”性格の悪いおっさんの装飾された唇”を見せつけられてるだけだからだと思うのよね
性格の悪さが表情に反映されている
収縮した瞳孔とかああいう煽り表情、見てて腹立つからね
そして奴らが「目を閉じて笑う」という非人間的な振る舞いをするのも、まさに人間性を持たず、ただ性格の悪いおっさんの拡張器官としてのみ(非自律的な)機械的に存在しているだけの無機物であることを象徴しているように思える
んでそういう広告やV野郎の下品さ不快さの正体として、「希少なはずの”色”や”音”を使いまくる」ってのがあるのかなと堺屋太一の情知の法則を受けて思った
要は奴らのデザインってとにかくカラフルで名前も良い響きのもんばっか使うやろ?
それが飢饉の時に飯を独占してたらふく食ってるような抽象的醜さを表してるのよ
なんか点と点が繋がったわ
文字通り美しい多様性と日本のような無秩序さの違いってなんなんだろうな
多様性ってのは要素としてはバラバラなんだけど、それがなんらかの目的や志向性のために有機的にお互いがお互いを必要とし、支え合いながら連携している様、そのバラバラなものが一体となって活動している奇跡的な調和性に良さを感じるのかもしれない
日本のネット環境ってのは、暴走する羊の群れのようなもので、個々の要素は極めて同質的であるにも関わらず、そこに有機性や統一性がなく、個々の主張がバラバラに分散しているという不調和感が表現されている
要するに有機的か否か、自動車は全然異なるパーツが組み合わさって走るという動作を導いている
この確率論的に類まれな事象に感じるのが多様性的調和
対して同質なものがバラバラに動いているというのはまさしくエントロピーが高い状態
結局、多様性的調和ってのもシントロピーの話に通じるのよ最後は
組体操とかがチームスポーツが美しいのも有機的に異質なものが調和しているからやろ
とりあえずスマホとパソコンをOS設定からモノクロ設定に変えたことだけ書いておこう
これがすごく気に入っている
「世界から"色"が消えている」衝撃事実の驚きの訳
https://toyokeizai.net/articles/-/632256
↑こんな記事を前に読んで、ちょっと意識していたところで、大昔のウェブサイトの読みやすさ、メラビアンの法則で言うところの7%にのみ訴求したような言語情報に特化した書籍のようなウェブデザインに久々に触れて、やっぱり93%情報はいらんなとなった
個としての、体系的なシステムとして完成された作品としての93%ってのは素晴らしいんだろうけど、ネット環境ってのは、ヨーロッパの街並みとは違って、言わば日本の雑多な住宅街みたいなものなんだよね
要するに各々が個々で自分の理想を思うがままに表現して、そこに統一感がなくて、ジャングルのようにお互いがお互いを引き下げあってるような調和が取れていない状態
ロゴもYouTubeのサムネもネットニュースのクリックベイトタイトルなんか全部そうでしょ
そこに統合的な意志が存在しないからただ雑多
見てらんないのでモノクロ設定にした
#部章 として、返信先の部章立ての中、あるいはそれらから独立したものとして、
『先年戦争』
これを部もしくは章として追加しておきます
これは返信先の体系の中に位置付ける場合、 ”は部”の中、あるいはその続きとして位置付ける予定です
既存のタグとしては #音と光の有限性 や #存在認知戦術 辺りで語っていた内容の延長にあります
簡単に言うと、
「有限方向である空間性ではなく、無限方向である時間性に志向性を持て 即ち長期戦を行える 敵が十年の戦争を望むなら百年の戦争を宣言せよ 敵が百年の戦争を望むなら千年の戦争を宣言せよ 、、、先年戦争」
みたいなことを語る
あと「先年戦争においてそこに大義名分を主張したりその戦いを正当化してはいけない なぜなら正当化可能な戦争など存在しないからである 戦争とは常に理不尽であり、正当化可能な戦争など存在してはいけないという認識の表現として、先年戦争は常に大義名分なくして不器用に行われなければならない」
という #審美眼 もここで語る
とりあえずこの『先年戦争』は、
『に部:い章』として配置しよかな
まだ”に部”のタイトルとかは未定だけど
#コンセプトハイフロスガー
ちなみに返信先トゥートを説明しておくと、
「誘惑文脈」と「結わく」で音がかかってるからね
そして更にそれが、「誘惑文脈と主観文脈を”結”わこうぜ(そしてまずその”結わき”を第一に手を付けて事を起こした方がが良いぜ = 『起結』)」っていう”い部は章”のメッセージ及びそのための方法論と、”い部ろ章”の「起承転結の”起結”を自身の主観的な内容によって抑えられた物語的文脈を作りましょう(
=起結 )」という理論的なメッセージが『起結』という熟語によって重なる
音と字によってここら辺が重なっている辺りが文学的美を伴っていてかっけえやろ? #審美眼
#ポストスペシャリティ #起源主張用 #審美眼 #コンセプトハイフロスガー
ちなみにこれが、令和最新版の #ポストスペシャリティ の概念地図、要は目次です
『い部「文脈の交差点、起結論」
い章(理論):世界の世間化 主観、当事者性の獲得の必要性
ろ章(理論):”起結”を抑えよ
は章(実践):決意に習慣を、主観(当事者性)の獲得法 (”誘惑”)対象文脈と自己文脈を”結わく”方法 (こっから実践編、ろ章の「起(承転)”結”論」という理論名が、「”結”わくことから始めよ」というは章の実践的姿勢の最適解に意味が繋がっている感じがして美しい #審美眼
に章(実践、コラム):独自独学法
ろ部「家名刺論」
い章(実践):雄略精神 家と名刺を持とう(しかしその中に引きこもる必要はないし、それを売り物にしてはいけない)
ろ章(実践):主観的志向性(MSP的、『したいネーム(仮)』)と客観的家(USP的)(とりあえず「名前」と「国籍」の間のレイヤーにその二つを作って名乗ることが大事)
は部「心の遮断性、抜三海」→これは #夜郎再興戦略として 独立させるつもりだが連続しているという意味でここに書く』
#ポストスペシャリティ #夜郎再興戦略 #起源主張用 #夜郎再興戦略として #審美眼
ちなみに”クソ”なものの話ばかりしている人ってのはこの志向性が”クソ”に向いてるってことだからね
つまり「クソ漁りのスカトロ」って奴よ
Twitter民なんかがまさにそれや #twitter民イジメ
俺がTwitterの話をするのは、どこかに「すげえ」って思う部分が一応まだ残っているから
陰謀論とかそこら辺の情報を深く知った、というかある種教わったのもTwitterだしな
どこかに良いところがあるから俺のような人間はまだTwitterを意識してやっているということ
志向性を間違うとスカトロになる、気を付けろ
#存在認知戦随筆 #したい哲学 #審美眼 #き #twitter民イジメ
運動エネルギー:変化(儒教的に『豹変』でもいいぜ #どっちでもええな精神 )
位置エネルギー:状態
熱エネルギー:感情
だとしたら「”志向性”」は「向き」であり「視線」
今どこにいようと、この瞬間どう動いてようと、倒れてようが立ち上がっていようが関係ない
「今どっちを向いているのか」、これが重要
これが俺が用いる「”志向性”」の定義ね #自作辞書 //志向性は元からある言葉なので『』はここではまだつけないもっと自分のものにしている感覚を掴めたら『』つけて表記する #コンセプトグレイビアード
そんでこの概念を重視していこうと思う
というか単純に認識として誰かを観察したりする上でその人の「”志向性”」を意識するようになった
その人の位置や運動性はどうでもよくて、「今どっちを向いているのか」そこを新たな評価軸として見てしまうようになってる
//やっぱパソコン使ってると色々アイデアが浮かんでくるというかアイデアをすぐに言語化できる環境によってその先の掘り下げが捗るわ #き #生活習慣環境
#生活習慣環境 #存在認知戦術 #存在認知戦論 #したい哲学 #審美眼 #き #コンセプトグレイビアード #自作辞書 #どっちでもええな精神
あかん・・・edgeブラウザの「垂直タブバー機能」便利すぎる・・・ #審美眼
パソコンと椅子周りを「あったか空間保温要塞」として建設工事して守りを固めた上で更にパソコンで「垂直タブバー機能」を使いつつ、シームレスに接続?する機能がある「ギャラクシーバズプロ(なんかギャラクシーのパソコンとかタブレット使ってたらもっと便利らしいけどそうじゃなくても前まで使ってたワイヤレスイヤホンよりも簡単に接続先の端末を切り替えられる)」でスマホをサブモニター的に使いこなす生活、最強すぎるわこれ
ほんまに色んな作業が捗る
これで冬をしっかりと越せそう