QT @jiro6663
>教養がないと冗談がパワハラと下ネタしかなくなるってやつ、オードリーの若林さんが欽ちゃんから言われたという「40を過ぎると声がデカいだけのツッコミじゃ笑いが取れなくなる」というやつだな。
https://twitter.com/jiro6663/status/1660594462329036801?s=20
#引用 #twitter
Translation memo.
"Totally pure duration is the form taken by a succession of our consciousness when our Selves let themselves live and refrain to establish the separation between the present state and the states that precede it."(Bergson, Henri-Louis. “L' Essai sur les données immédiates de la conscience”, translated by myself.)
I didn't realize it because I had read the Japanese translation until now, but there is an image of evolutionism behind the purposely calling the past as "preceeding states'' here. It seems that he named it "totally pure duration", including the successive sense of not establishing separation between ourself and our all ancestors which ware living existences in the time from the ancient era to present.
The original French text is:
"La durée toute pure est la forme que prend la succession de nos états de conscience quand notre moi se laisse vivre, quand il s’abstient d’établir une séparation entre l’état présent et les états antérieurs. "
「まったく純粋な持続とは自己が自分自身を生かし、現在の状態とそれに先行する諸状態とのあいだに分離を設けることを差しひかえる場合に、わたしたちの意識が継続してかたちづくる姿である。」(『意識に直接与えられているものについての試論』ベルクソン/拙訳)
今まで和訳されていたものを読んでいたので氣づかなかったけれども、ここでわざわざ「過去」を「先行する諸状態」と呼んでいる背景には進化論的なイメージがあって、自分につらなる古代から現在までの諸生物と自分とのあいだに分離を設けない、という継承的な感覚をも含めて「まったく純粋な持続」と名付けていたように思える。
#translation #quote #bergson #time #freewill #self #evolution #sustainability #ecology #anthropology #翻訳 #ベルクソン #引用 #名言 #哲学 #人類学 #考古学
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「#引用 」の善し悪し要不要についての投稿が五月雨式に流れてくるので、擁護論でも。
(しつこいようですがTwitterでの正式名称は「引用ツイート」であり「引リツ」「引用Rt」などは通称です。)
原則として、「引用元を正しく指し示すこと」のできない環境は、真面目な言論の場でありえません。情報の流通すらない。
ボタン一つ押す以上の手間を色々かけさせることで “安易な” 引用を防止しようという設計論はまだ分かりますが、それも結局利用者のモラルの問題に帰結するのではないでしょうか。引用であれ参照であれスクショであれ、悪意ある投稿者がその気になれば、引用の制度設計だけで防げる訳がないのです。
很多行业本身很有前途,但对行业从业者(打工者)而言却没有任何前途,比如:专车、快递。很多行业的所谓 “前途”,实际上是无数人用 “没有前途” 的付出支撑的。
#引用
たとえば、昭和に入って長らく女児名の人気一位を守ってきた「和子」は、これぞ、キラキラネームとは対極といえる、堂々たる”正統派”の名前である。誰もがなんのためらいもなく、「かずこ」と読めるはずだ。
だが、じつを言うと、「和」と「かず」と読むのは、根拠がどうもあやしいのである。「和」の訓としては、「なご-む/なご-やか/やわ-らぐ/やわ-らげる」が常用漢字表内の読み方とされているほか、ほかにも「あえる」とか、「なぐ」という訓が辞書には載っているが、「かず」はこうした通常の音訓ではない。
じつは「かず」は、人名だけで用いられてきた名乗り。どうして「和」を「かず」と読むのかはよくわからないが、過去の歴史のどこかで誰かが無理読みした所産という読み方だったのだ。その名乗りを用いて、「昭和」の年号にちなんで「和子」や「和夫」が命名され、一躍メジャーになったために、私たちにとっては”正統派”と感じられる名前に昇格したというわけだ。