「長くやってる(古参)」ってことに価値が生まれるように「たくさん同じようなものを作っている」ってことにもなにかしらの価値が生まれるんだろうな
そして何より楽だな
キラキラした目で誰かを見上げてる時の方が正直楽だわ
高まった自己評価に基づいてそれを保守するような生き方は疲れる
そもそも俺みたいな人間が自己評価を膨らませていける環境ってヤバいよな、孤独とかいう環境
よく「ハードル上がった」とか「ハードル下げる」みたいな言い回しがあるけど、どちらかというと「相手を見上げようとする」か「相手を見下ろそうとする」かみたいな自分側の意識だけで変えられる考え方の部分の方が生きていく上で便利な気がする
周りからの見られ方とかは変えられないけど、自分からどう周りを見るかは簡単に変えられる
「我れ以外みな我が師」という言葉があるけど、本当その通りだな
誰かを見る時だけじゃなく、発信する文章も実験的にこれから意識して”相手を見上げているような”文章をちょっと心掛けてみようと思うわ
//おはトゥーの内容の続きね
マストドンとかで文章書くときに気を付けたいこととして、「誰にどの立場から言っているのか」みたいなのをもうちょい意識した方が良い気がしてきた
ラジオとかPodcastでも結局面白いもんって全部「対談」なんだよね
一人喋りで面白いものってあんまりない
それってお互いのポジションが明確になっていて、相手を見上げているのか見下げているのかとか、そういう視点の置き場みたいのが見えてくるからなんだろうな
そういうある種の「眼差し」みたいなものに滲み出たその人の”認識”や”価値観”の中に居心地の良さを覚えてつい聴き入ってしまうのよ
Twitterとかマストドンとかだと、つい独り言なので、あまりにも無機質というか、どこ向いて喋ってるのかよく分からない感じになるのよね
自己評価や眼差しの方向性を他人に強制されないから、どんどんそこがインフレして、むちゃくちゃ上から目線になったりすることもある
けどそういう時に常に自制して、「相手を見上げる」感じの口調を意識して書き込むと柔らかい読みやすい文章になって良い気がする
#情報発信は生存発信
そういう意味で、発信する情報を人目に触れさせるってのも大事なんだなと思ったわ
ここ一カ月くらいの”人目に触れない場所に情報を書き留める”生活を経て
これ結構重要だと思う
前に俺は「思いついたことをすぐに人目に触れるSNSとかに書いてしまうと”他人に見られても問題ない範囲でしか思考しなくなる”」みたいなデメリットを挙げたけど、それと相対する形で、この「発信する情報のハイコンテクスト性を下げることができる(後で振り返った時に理解しやすい情報を記述する傾向が高まる)」という隠れたメリットが存在しているっていう感じだね
どっち取るかは難しいけど、11月はEvernoteに書きまくってマストドンへの浮上率が下がってしまったことが少し残念なので、12月からはEvernoteではなく、一次書き込み先をマストドンにして(先述の位置座標指定など工夫した上で)その内容をEvernoteとかOneNoteとかに整理してどっかブログとかwikiに二次的にまとめるみたいなことしようかなと思っている #コンセプトグレイビアード #あとでやる
#三上探し #生活習慣環境 #情報発信は生存発信 #随筆 #あとでやる #コンセプトグレイビアード
//返信先の内容の続きね
マストドンみたいな「他人も見ている空間」で情報発信を行うことの一番のメリットってのは、
「アウトプットのハイコンテクスト性を下げることができる」
ってのが大きく存在しているな
どういう事かって言うと、Evernoteみたいなローカルな場に書き込みを続けていると、”どうせ俺しか見ないし(なんなら俺自身一生振り返ることがないかも)”って環境条件から、「あとで読み返した時に全然理解できない駄文」みたいな書き込みになってしまう傾向がある
その時のそのタイミングの俺には理解できるのかもしれないけど、他人や後の自分は分からないみたいな書式になってしまう
ここで”他人の目”に文章を触れさせてやると、なんか外行きの格好とかじゃないけど、「しっかり他人が読んで理解できるように書かなきゃ」という心理作用が働く
このことによって、他人に対して文章を読んでもらえるだけじゃなくて、「後で自分自身で振り返った時に分かりやすい内容が増える」というポジティブな効果があるのよね
あー、あともう一つ
「”批判側の声”に耳を傾けることがその対象を理解するための最短ルートであることもある」
ってことね
それと、
「決意に習慣を 対象を自身の生活と結びつけて能動的に接点を作りに行く生活設計を実践する」
って二つが今回の連トゥーの要点
後者に関して言うと、それは出会いがない環境下での恋愛にもどこか似ているのかもしれない
積極性と接点が大事っていうこと
接点がないままに客観的な態度で対象に迫るってのは自分が人間である以上、この社会で行っていくのはかなり難しいのではないかと思う
#ポストスペシャリティ #情報発信は生存発信 #独自独学法 #随筆
「やる気に依存しない生活設計を自分で構築する経験」をするってこと
対象と自分の生活をどう結び付けて、接点を築いていくか、そしてそれを上手く物語にして文脈立てて発信していくか、これが #ポストスペシャリティ 時代に必須の能力だと確信している
その意識的な最初の実践になれればなと考えている
非人間的ななにかの対象との押したり引いたりの駆け引きを学ぶ必要がある
#情報発信は生存発信 #独自独学法 #随筆 #ポストスペシャリティ
おはトゥーの放送室の話だけど内容的に #情報発信は生存発信 つけとくか
嘘を嘘として喋るというより嘘のエピソードトークと銘打った時点である種の小説みたいな感じでやると楽しそうやなと思っとる
なんかお絵描きAIがテキストベースだからか最近小説を書く人が増えた気がする
俺自身ここ一ヶ月くらい興味持ってるのよね小説
設定で盛るんじゃなくて絵にならないような地味な日々をいかに文章の力で奥行のある粘着質な深みみたいなのを引き出すかみたいな、そういうダメな食材を美味しく調理するみたいのに興味がある
そういう純文学っていいよなすごいと思うのよ
要は社会的な成功を必要としなくなるというか、今見えている景色を頂上から見る景色よりも昇華することができるようになればもう歩く必要もなくなるわけだからね
それで向上心を捨てても良いとは言わないけど、むしろ登山志向の人ほどそういう自分に対する休憩所、言わば「心のセーブポイント」みたいな言語化習慣を備えとくとゆっくりとマイペースに登ってけると思うので、登山のお供としてピッケルと並ぶくらいに言語化力ってのは必要やなと思う
あと更に最近思ったこと書くは
そもそもその存在が人間の”主観”や”感情”に立脚した人工概念をそれら主観や感情抜きに語るのって無理だよなってこと
要するに、例えば万有引力や化学反応なんかは人間不在でも存在しているかもしれないけど、社会や経済ってのはそもそも人間の主観なくしては存在し得ないものなのよ
これも定義によるとは言え、人間、もしくは全生命が絶滅した世界で、そこに社会や経済が成り立つのかって話
存在し得ないよね
だから「主観の集合」を意識した合意形成みたいなものはできたとしても、本来の意味での「客観」的な議論なんてしようがない
「たくさんの主観の総体」と、そもそも主観そのものを否定した上での狭義の「客観」って厳密には異なるものだろうし、だからこそそこら辺の議論は最終的にポジショントークにならざるを得ないしそれが間違いでもなんでもないんだよね
最近は「主観的であること」を重視しています
#ポストスペシャリティ や #情報発信は生存発信 的な文脈においても
#したい哲学 #したい科学 #タグツリー #独自独学論 #独自独学法 #情報発信は生存発信 #ポストスペシャリティ
#コンセプトハイフロスガー
ちなみにこの『悩みの履歴書』には「”オルタナティブアクション”」って副題つけてる
『オルタナティブアクション、悩みの履歴書』って
行動も大事だけどその過程の試行錯誤の方を楽しみたい
けど悩みは行動しなくても過ぎ去る時代に囲まれながらただ生きているだけで生ずるものだから”悩み本位制”でストーリー組み立てるとより自分軸が際立って面白くなる気がする
#隣近所作り や #ポストスペシャリティ 、更には #情報発信は生存発信 文脈でここら辺の話及び文化を盛り込んでいくつもりだ
まー、「感情の履歴書」とか「思考の履歴書(思考履歴)」とかでもええのやけどね
けどその一例、あるいは筆頭としての具体物として「悩みの履歴書」の精神は大事にしたい
#自己啓発 #三上探し #生活習慣環境 #情報発信は生存発信 #ポストスペシャリティ #隣近所作り #コンセプトハイフロスガー