【七分割 ⑦】
能の如く、少数の教養人を観衆とする高尚の古典芸術が、もし所謂「娯楽物」であるとすれば、ワグネルの音楽も、雪舟、大雅堂の美術も、はたまた僕等の書く詩や小説の純文学も、本質において皆広義の娯楽物ということになるかも知れない。いわゆる娯楽演芸と純芸術との相違は、僕等の常識が知る限りにおいては、結局つまり大衆演劇と能楽との区別にすぎない。故にこの問題を延長すれば、単に能楽ばかりでなく、芸術一般、文化一般に関する問題になる。政府はこの大きな文化に対し、どんな解釈を以て施政方針を取ろうとするのか。さらに機を見てこれを質問したいと思うのである。
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【七分割 ⑥】
果してもし然しとすれば、古事記、萬葉集、増鏡の類を初めとし、源氏物語等の古典文学に至るまで、遂に公読を禁じなければならないだろう。かくの如き施政は、古代のペルシアや支那の如く、威嚇的君主制を強いる国にはいいかも知れないが、日本の如く君臣一体となっている国では、却って人民と皇室との関係を迂遠にし、いたずらに内容なき形式上の威厭感のみを、純情の民にあたえることになるであろう。特に「船弁慶」の如きは、平知盛の亡霊の台詞中に、主上を始め奉り平家の一族四海の浪に漂ひ云々というのが、娯楽物の故に不敬だと言うのであるが、取り締まりもこの所に至っては、少しく病的に神経質すぎると言わねばならぬ。
さらにこの所で提出される根本の疑問は、能が果たして警察の定義の如く「娯楽物」という概念に適応
されるか否かということである。
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七分割 ⑤】
然るに日本は違っていた。古事記や萬葉集の昔から、我等は天皇を神として崇め奉っていたが、同時に血肉の親として、あらゆる日本人の慈父として、心情から慕いまらせて居たのである。天皇と人民とが、いかに肉親的に親しかったかは、時にしばしば至上が諧謔を弄されたり、臣下と心おきなく遊宴されたりしたことの、古事記や萬葉集の文献によって明らかである。そしてかかる和気藹々たる君主関係は、決して外国にはなかったのである。
ところで問題になった能の多くは、皇室に対する人民の愛慕の情を、一層深めることはあっても、これに反する箇所はないのである。僕等は日本の古典史をよみ、不遇に崩ぜられた天皇の怨恨や憤怒を聞いて、逆賊に対する憎みと怒りを新たにするが、その人間的告白の故に、天皇への忠義心が変わるようなことは絶対にない。能を禁演する政府の真意は、おそらくそれが娯楽物だというだけでなく、ことに皇室に関することは、出来るだけ民衆の心に触れさせたくないという意義に甚くのだろう。
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【七分割 ③】
ニイチェも言う通り、人は幾度も繰り返される劇に於いては、もはや筋やストーリーを観ようとしないで、もっぱら演技の形式だけを見るのである。「大原行幸」や「蝉丸」などの観客は、シテが皇族であることなど意識しないで、単にそれが観世右近であり、梅若万三郎であることだけを見ているのである。警視應の取締りが、映画や現代劇や歌舞伎劇に比較的寛大だということも、おそらくこの同じ理由にもとづくに違いない。新しくで出来たナマものは、臭気の刺激性が甚だしい。しかし五世紀も経た骨董品に、今更何の臭気があろう。枯骨を叩いてその肉臭を探索し、今さらに事新しく公告するのは、却って人心を惑わすことの愚になりはしないか。能を見て感心するのは、それが武家時代の創作であるにかかわらず、皇室に対して最善の敬愛を表していることである。人も知る通り、能は室町時代に完成した芸術であり、これのパトロンは足利義満や義政の将軍だった。
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【七分割 ②】
娯楽演芸物とは言いながら、能は歌舞伎や活動写真とは違っている。能は武家の式楽として、最も厳重な格式の下に、長裃の儀礼を以て観覧されたものである。これを観る者は将監であり、大名であり、当時の貴族たる武士階級者であった。平民階級の町人等には、かたく法律を以てその観覧が禁じられた。それほど丁重に儀礼を正して、荘重に演ぜられた式楽なのだ。今日もし市井の大衆劇や娯楽的の映画劇で、皇室を主題とする如き物が現れたら、あえて警察の令を待つ迄もなく、僕等が率先してその不敬を責めるであろう。だが、観客が皆礼服を着、儀式を正し、最敬礼を以て列座し、そして演芸そのものと演出者とが、最も厳粛荘重なる精神を以てする舞台に於いて、たとえ皇室に関する場面があろうとも、一概に不敬呼ばわりをすることはできないだろう。勿論今日の能の観客は、昔のように儀礼正しくはない。しかし能そのものの芸術精神は、依然として伝統のままに荘重な式楽であり、何等卑俗の娯楽性を持たないのである。況んや能は、五百年もの長い伝統を経た古典劇である。
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