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毎年書いてますが。
沖縄戦の大きな教訓は
「軍隊は住民を守らない」ですね。
2007年秋に訪れた、沖縄本島南端の #喜屋武岬 (きゃんみさき) です。この辺りでは、沖縄戦末期の1945年6月に、日本軍から見捨てられた多数の住民が、命を落としました。居場所を失い逃げ場もなく追い詰められて行った人々の気持ちを思うと、本当に苦しいです。
あの時、国が守ろうとしたのは国体であって、国民ではなかったのです。今、どさくさに紛れて推し進められる軍拡の果てに何があるのか、歴史から学び取らなければなりません。
1枚目は、喜屋武岬の断崖に建つ #平和の塔 。多数の遺骨が合祀されています。
2枚目は、喜屋武岬から見る #荒崎海岸 。ここも凄惨な悲劇の舞台でした。
[2023/06/23 #沖縄慰霊の日 ]
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沖縄戦、新版教科書は集団自決の日本軍関与触れず
https://mainichi.jp/articles/20230622/k00/00m/040/024000c
今年で沖縄戦から78年目となる中、来年度の小学校の社会科教科書で、沖縄戦に関する記述が後退していることが、市民団体の調査でわかりました。
明日6月23日は「#沖縄慰霊の日」です。
沖縄戦で、人間の修行とか、知恵とかが、どれほど生徒とかかわっていたか、疑問をもつのは、私ばかりではなかろう。生き残った者は、知恵があったとか、死んだ者は勇敢であったとか、臆病であったとか、尽忠報国の精神にもえていたとか、あるいは信仰が浅いとか、深いとか、そういったことが、この沖縄戦下で、どれほど人びとの生死と関係があっただろうか。人間の個々の力は、この戦いの前には、ほとんどゼロに近かった。とくに島の南端に追いつめられた者については、そう言える。
生きるも死ぬも、ただ偶然であり、僥倖でしかなかった。生き残った生徒と、死んでいった生徒とを比較して、人間の浅はかな知恵で、その生死の理由を判別することは、とてもできない。 もしこの偶然、僥倖を運命というならば、すべては運命によってさばかれたのである。生きるべき者が生き、死ぬべき者が死んだなどとは、世間的な意味ででもとうてい考えられない。
#能楽 #能 #Noh #ひめゆりの乙女たち #ひめゆりの塔 #第二次世界大戦 #大東亜戦争 #太平洋戦争 #地上戦 #慰霊の日 #沖縄慰霊の日
#沖縄慰霊の日 #慰霊の日 #地上戦 #太平洋戦争 #大東亜戦争 #第二次世界大戦 #ひめゆりの塔 #ひめゆりの乙女たち #noh #能 #能楽
#沖縄慰霊の日、いまを生きる小学生が問いかけた幸せの意味。「お金持ちになることや 有名になることが幸せではない」 https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5d0f047fe4b07ae90d9e470a?ncid=other_twitter_cooo9wqtham&utm_campaign=share_twitter
#SmartNews
If we say that happiness is money and health, this problem will be end.
Because my parents were on bad relationships.
#okinawa
沖縄慰霊の日、いまを生きる小学生が問いかけた幸せの意味。「お金持ちになることや 有名になることが幸せではない」 #SmartNews
If we say that happiness is money and health, this problem will be end.
Because my parents were on bad terms, I can’t believe them.
#okinawa #沖縄慰霊の日