#鍔付き石棒 は図面や写真で見るとよくわからないのだが、わかりやすい図にした人がいる。わかりやすい・・・。ピンク色の彩色がまた・・・。しかし私には、この#石棒 の鍔がどのくらいリアルなのか、わからない。いにしえの石棒作家は見て作ったのだろうか。今の学者はわかって論文を書いているのだろうか。
描いた人は不明。転載元のブログはここ。
https://blog.goo.ne.jp/tommz_1938/e/bfeea6576ae1f901750f082cae67aa43
#石棒 後も、ちんこを立てるのは日本の伝統だ。素材が木や藁になったため途切れない証明はできないが、昭和の民俗例はある。これは揺るがぬ事実。
揺らぐ私見では、ちんこ立てる伝統には三つの流れがある。
一つは、純ちんこ。「ちんちん、ちんちん」連呼すると楽しかろう? 純粋ちんこ崇拝。ちんこ唯一神。ちんこ単性論と名付けよう。
もう一つは、ちんこまんこ。セットで組み合わせる。これちょっとついていけないが、太い流れなので無視できない。対立する二つの神が世界を作る。光のちんこと、闇のまんこ。マニ教的異端か! いやただの道祖神ですけど。
三番目が、ちんこトリニティ。ちんことまんこと聖霊が別のものでありつつ不可分であるという神秘の教えである。この流れは日本にない。
結局、縦横両方あった、でいいのかな。折衷説つまらん。
立てる#石棒 は、竪穴住居の中に立てていた。住居の隅に立てるのが一つのやり方。これはわかる。神棚・仏壇スペースだ。時々拝んだりするのな。
もう一つは中央に立てる。中央には煮炊きし暖をとるための石組みの囲炉裏があるのだが、その一部に石棒をはめこむ。
いつも視界に入る位置に、勃起ちんこ。神聖さとか特別視とかなしに、食事のたびに勃起ちんこ。幼少から勃起状態を見て育つ。ほんと、縄文人にはこっちの常識が通用しないのだよー。そんな君たちが好き❤️
#縄文勃起まつり と #縄文ピストンまつり 。心が貧しい現代日本人はともかく、大きな心の古代象ならどちらも好ましく思うだろう。ぱおーん。
で、#石棒 立てたか寝かせたか。立てかけた石棒や、たぶんここに立てたのだろうという跡が見付かっている。棒の根本に丸い石をちょいちょいと置いた例もあって、超愉快。しかし、#両頭石棒 は立てようがない。
横倒しに置かれた長さ2メートルの#石棒 。もちろん一人では持ち上げられない。2、3人でも無理。両側から5人ずつ、10人の男がとりつき、抱え込む。かけ声をあげて持ち上げる。男たちの腕、肩、脚が密に接触する。足をもつれさせながら歩き、何かにみたてた何かに向け、力強く棒を突き出す。それから後ろに引く。また突き出す。上半身裸で髭面の男たちの肩と、腕と、背も、胸も、汗みずくでてらてらと光る。重い石に汗が滴り、染みこんでいく。
これが縄文男祭(おとこまつり)! 別名、縄文ピストンまつり。
このように、#石棒 が立つことは揺るぎない信仰なのだが、考古学とは難儀なもので、立てないと主張する人もいる。というか最近出てきた。
そんな使い方普通しないだろうと普通は思う。だって、ねえ。立つでしょうが、普通。
ところが、その使い方は本当は普通ではないようなのだ。本当の普通は横倒しにして水平方向に動かすらしいのだ。みんなそうらしいのだ。
・・・そんな普通は知りたくないのだ(落涙)。
小さな#石棒 は数センチ。これは個人のお守りでよいとして、大きなものは人の背丈を超える。大きな石棒は、個人や一家族のものでもありえない。その棒を囲んで集団で何をしていたのか。ゲラゲラ笑っていたわけではなくて、まじめな顔でしていた何か。
まじめな話、#石棒 をどう使ったかの答えは、一つではありえない。なにしろサイズが違いすぎる。ただの歴史好きの私が博物館で多く目にしてきた俺的典型石棒は、太さも長さも人としてたいそう立派なもの(当社比)だったが、去年拝見した、人外サイズの石棒も、珍しいわけではない。
怖い想像から離れて。#石棒 は勃起した男根をかたどったものだ。勃起した男根を一字で表せば、「壮」だろう。天を衝く勇壮な勃起。石棒はたいていえらく長い(当社比)ので、これを使う祭りとなれば、根元を握って垂直に掲げ、ついでに自分も勃起するような縄文しぐさを勝手に想像してしまうわけだ。
#石棒 は、祭祀に使われたと言われている。みんながそう言うのだからそうなのだろう。別に異論を唱えたいわけではない。だが、証拠があって言われていることではないことは、心に留めておきたい。...実験考古学... 使用痕分析...... 実用の可能性を排除せず、困難に果敢に挑む偉大な献身..... 今後の研究が待たれる。