いわゆる純文学論争とかいうのも、これひとことで済むことだと思うんですよね。
商業性・需要・売れたもの勝ちとかいうお金中心の社会観は、「既存の社会が正しい」「改良する余地はない」あるいは「お金の市場経済で変化していく結果が常に正しい」という考え方が、暗黙の前提になってしまっています。
社会やお金・ #自由市場経済 の下に、人が従っている、という世界観ですね。
お金の論理では拾いきれないものも世の中にはあるし、お金だけでは間違った方に進んでいくかもしれないし、
人間のほうが社会や経済を支配するもののはずなのに。
#純文学 が何であるかを具体的にみたとしても、
美的技術の研鑽にしても学術だし、
個人的自己表現でも、異なる他人の頭ン中を覗いて刺激を受ける、
そういう意義があると思います。