「自決」という「日本的な死に方」を「肯定」する「危険な戯曲」
テネシー・ウィリアムズの心をとらえたのは「能」という東洋的な劇の「形式」だけではなかった。彼が最もひかれたのは、死をマイナスに捉えない東洋的な発想、考え方、心であった。「西洋」は「自殺」を「病」であり「弱気」であり「残念な行為」と捉える。だが「東洋」=日本はどうか。切腹、特攻隊、その是非はともかく、「自殺」を「後退」としてではなくて、ある種の「前進」と捉える文化がある。それは少なからずテネシー・ウィリアムズの中にある「観念」でもあった。「自殺」という西洋が否定する「観念」。その「観念」を積極的に「意味ある行為」としてとらえても良いのではないか、そう思ったテネシー・ウィリアムズはそれをこの、形式的にも「西洋」と「東洋」の融合である戯曲「男が死ぬ日」のテーマに据えた。「積極的な自殺」、もしくは「芸術的な自殺」、「死を肯定する芸術行為」、そんなことをテネシー・ウィリアムズがぶち上げた危険な作品、西洋への反逆、それこそがこの戯曲「男が死ぬ日」
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