#100分de名著 #覇王の家 #司馬遼太郎
https://twitter.com/nhk_meicho/status/1695647324679159946?t=sUFSOWR2l04fV0dN3CqB1A&s=09
"「覇王の家」では意外にもクライマックスともいえる「関ヶ原の戦い」「大阪冬の陣・夏の陣」が一切書かれない。安部龍太郎さんによれば「一度書いたものは二度書かない」という司馬の作家倫理によるものだという。代わりに司馬が注力するのは、最晩年の家康が後世の盤石な基盤づくりのための秘法を側近たちに告げるシーン。「譜代を冷遇し外様を優遇する」という一見不可解な策には家康ならではの企みがあった。安部さんはそこに書かれたかもしれない「家康の未来へのビジョン」を作家的想像力で補う。第四回は、司馬が書かなかったことや、逆に周到に描いたラストシーンを通して、家康がどんな国家像やビジョンをもっていたかを読み解いていく。"
専決をおそれた 独創的
聞き上手 家臣団「言ったからには責任を持たねばならない」となる
抽象的 cf.漱石「則天去私」 物の本質を見るために必要
数正は秀吉との緩衝材になろうとした? by 安部氏
三河人の欠点 三河人の排他性 今の我々も同じ排他性を持っている 新しい世界の潮流に乗り遅れる要因にもなった 今日でも我々が答えられていない司馬からの宿題
伊集院 家康は日本そのものなんじゃないか
安部氏に伯耆書いてほしい←読みたいかも
#覇王の家
わか、わかるなぁ〜〜〜となった一節
“正論にはちがいなかったが、正論はそれをいう者の人数がその集団のなかで稀少なばあい、命がけの発言にならざるをえない。”
三河衆が嫌ってるの分からんでもないけどなんとなく数正に同情してしまうところある。尾張あたりに生まれてたらよかったのかもねぇ
#100分de名著 #覇王の家 #司馬遼󠄁太郎
"家康の名を戦国の世に轟かせた「小牧長久手の戦い」での大勝。10万という秀吉勢に対して、対する家康軍は1万5千。圧倒的不利の中家康が勝つことができた背景には、家康の「情報戦の巧みさ」「知的柔軟さ」があった。信玄亡き後、家康は甲信を併呑するが武田軍の人材を寛容に迎えいれる。また敵だったにもかかわらず信玄の戦法を心から崇拝し愚直なまでにコピーして活かす柔軟さ。情報戦の巧みさもあいまって家康は見事に劣勢を打開していく。そして、人生最大ともいえるこの戦果は、その後の家康の切り札となるのだ。第三回は、天下に轟いた家康の底力の秘密に迫っていく。"
司馬エッセイで
信長…芸術家
秀吉…政治家
家康…高級官僚
安部氏「家康は凡人に近い」
1970年代の歴史小説 軍記物・講談などの合戦描写が主流だったところにドキュメンタリーの手法で戦争を書いた
大将としての資質を示すエピソード 海道一の馬乗り?
司馬自身に戦争への思い 家康のような将軍がいたらあんなに惨めな敗戦はしなかったのではないか? 秀吉軍がアメリカ軍に見えていた?←う〜ん、指揮官がよければ・日本が勝てば戦争してよかったの?それは何だかな……って感じの解説
敗戦時の司馬の思い どうしてこんな馬鹿な戦争をする国に生まれたのか?
昔の日本人とは 日本人の良さはこういうところにあると示そうと書いた
#100分de名著 #覇王の家
https://twitter.com/nhk_meicho/status/1690573896129642496?t=3qaooxDNPZUWOjlA8B7fig&s=09
"「家康は信長の下請会社の社長にあたる」と喝破する司馬。下請会社を維持するためには徹底的に律儀であることを必要とする。たとえ妻や息子を殺されようとも、命がけともいえる律義さを貫いた家康。だがその律儀さは信長を動かし、戦国社会での世評にも家康という存在を刻み付けていく。「本能寺の変」での信長の死は家康の運命を大きく揺さぶるが、その後どんな天下を目指していくかを家康に練らせることになる。第二回は、奇跡に近い努力を要したと司馬から評された家康の律義さの内実に迫るとともに、信長、秀吉と対比しながら、家康がどんな天下を目指そうとしたかに迫る。"
当時は築山殿の研究がほとんどなかった
遠州二俣のこと それぞれの人物の出身地が違う
密書を出した 本作ではヒステリーが原因と書かれている
忠次の行いを裏切りと受け止めてない家康
家康の遺訓「己を責めて人を責めるな」
機関 役目や責任はあっても人格はない
忍耐強さは日本をこう変えていくんだという高い理想があったから←そうかぁ? 史実はしらないけど少なくともこの作品の独創性がないひたすら実務家って感じの家康にそういうビジョンあるようには思えないんですよね……(そういうところがむしろ好きだったり)
信長を接待🗻 家康にとっては戦
家康は信長にハートを鷲掴み←これも疑問。番組ではあまり触れられてないけどなんなら本作の家康は異様なまでに信玄にゾッコン(死語)で信長の戦法とかまったく参考にしないし尾張衆の気風に染まるなって度々家来に厳命してるくらいなんだよね。ちょっと安部先生の願望入ってない?思ってしまった笑
読んでるうちに面白くなってきたんだけど序盤築山殿の書かれ方酷くて個人的にかなりしんどかったんだよな……
25分の短さだから仕方ないけど口さがない三河人の中でも女としては築山殿のこと愛してなくても同情はしてたぽく書かれてたと思うんだよね家康
番組では単純化して書かれてたけど酒井忠次と家康の関係性?描かれ方、『覇王の家』読んでて個人的に興味深いな〜と感じたポイント
名著132「#覇王の家」司馬遼太郎 - #100分de名著 - NHK https://www.nhk.jp/p/meicho/ts/XZGWLG117Y/blog/bl/pEwB9LAbAN/bp/poRRQrG9Wo/
"家康が歴史の表舞台へと躍り出ることができたのはなぜか。司馬は「たったひとつ、かれが三河に生まれた」ことだと述べる。三河には中世的な深い人間的紐帯が色濃く残っていた。若き日、人質になる事を余儀なくされた家康。「苦難を共にする」という思いが、残された家臣団の更なる団結を生んだ。信玄のような戦術的天才も、信長のような俊敏な外交感覚もなかった家康だったが、こうした紐帯がベースになって部下に対する統率力を磨いていく。第一回は、三河かたぎや若き日の苦難が家康の能力をどう育てていったのかを、司馬の洞察を元に探っていく。"
司馬は家康があんまり好きじゃない←読んでるけど鈍感すぎて全然気づかなかった😂でも作家個人の好悪を感じさせないのはすごいよな
同じ河内出身の秀吉のが好き
家康はもっとじめっとしてる しかし歴史小説家として一度は対峙しなければならない
室町後期『人国記』を参考にしている
唯物史観vs人間史観 1970s安保闘争の頃
人間史観で書くための工夫
・キャラクターの決めつけ 物語をシンプルに
・史実の引用
人間をどれだけ大きな器として見ることができるか 作家の人間観
三河かたぎに次ぐキーワード
中性的な情念
中世人という気性
中世は農業中心
近世は合理の世界 中世は情の世界
三方ヶ原の惨敗
武士の意地 責任感
書いてるうちに書いてる人物を理解する←おこがましいけど分かるな〜となった箇所 歴史小説と二次創作て完全一致ではないにしてもかなり重なるところあるよなと思う
討ち死にした兵が全員前を向いている そういう兵を育てた家康はすごいとの馬場信春の評価