まあ、Nafoの”中の人”みたいな臭い連中が「犬に自己投影してそう」ってのがあった上で、やっぱり彼らの本心からの象徴ってのはこれなんじゃないかってのがおぼろげながらちょっと見えた
これかこれのどっちかやろなと
要はNafoみたいな臭いことやってる奴らが彼らがウクライナにとって都合のいい情報流してるからウクライナ政府を敵視せれば良いとかそういうことでもないと思うのよ
彼らはそんなところで分かりやすく正体表さない
柴犬もウクライナも関係性を明らかにしてる時点でそれは”中の人”にとって反撃されても痛くない場所なのよ
要するにトカゲの尻尾みたいな部分
そんなとこ攻撃してもしょうがない
俺はもっと彼らが大切なものを傷付けたい
より深く自己投影して感情がリンクした直接的象徴物を踏みにじりたい
けどそれはアメリカ国旗とかそういうことでもないと思う
ちょっとずつ迫っていきたいね
そんでそのイメージをダサく滑稽にしてやろうや
で、つまり要するに彼らはある対象の持つイメージを勝手に私物化して、おそらくはNafoの背後には政治権力がいるにも関わらず本来であれば知的財産権などで保護されてもおかしくないような対象を勝手に利用してるっていうこと
それで相手に迷惑がかかるかとかは考えない
一時期日本のネットで流布されて叩かれていた「外国で悪いことをする時は日本人だと言っている」っていう韓国人の嘘か誠か分からんがそういう画像でやってることと同じなんだよ
自分は正体隠して匿名で、そんで明らかに印象悪くするようなことする時だけアニメ絵だの柴犬だの利用してるってことよ
けどそれでもそれらシンボルを使うってことは少なくともある程度は柴犬、というか”犬”みたいな連中にシンパシーを感じるてると思うのよね
自分自信が組織の犬的などうしようもない立場だから
なんで普通に腹立つのでこの憂さ晴らしはそこら辺にいる犬にぶつけてこうかなと思う
犬ってのはお前らの自覚的生き様そのものなのよ
だからあえてシンボルとして”犬”を採用したんだろ?
だから犬を攻撃する、当然の話
あと、デザインとか繋がりの話で言うと、Nafoっていう明らかになんかの権力がやってんだろうなっていう滑り倒した工作運動みたいのがDogeっていう柴犬を勝手にシンボルにしてんだけどさ、結局アニメ絵広告やV野郎も同じように、経済主体によって利用されてるんだろうな
反露親ウ情報を流すプロパガンダに柴犬が政治利用されてることは一目瞭然なわけやん
Nafoの場合な
それで実体から飛躍したイメージが柴犬やDoge(本名かぼす)についてもどうでもいいわけよ彼ら政治権力主体はね
だからNafoは日本の「クソコラグランプリ」みたいに、とにかくロシア側の情報に対して、冷笑嘲笑的なクソ情報を送り付けるどうしようもないコンセプトの工作をしてるらしい
そんなん見たら、まともな感性持ってる人ならそのシンボルである柴犬にも冷食嘲笑的なイメージを持つよな
実際の柴犬は別にそういう犬じゃなくても、それ見た人はクソコラグランプリ的なTwitter特有の”クソ”イメージと柴犬を結びつけて考えるよ
「あ、この犬も常日頃から他者をクソクソ思って毒吐いてんだろうな」と
調べてみたら、「笑顔」で思い浮かんだ村上隆の作品(岡田斗司夫によるとある時代を切り取って象徴したものらしい)ってまだ「目を開いて笑っていた」んだよな
いつからか日本の絵の表現は「目を瞑って笑う」ようになった
現実に目を背けている態度をそのまま表しているようで示唆的かつ象徴的
俺は現実も向き合いながらそれでも空元気ででもキラキラ目を輝やかせながら笑っている時代の方が好きだった
なので「目を瞑り笑う者共」に対するイメージ汚染のための #認知戦 を仕掛けていきたいわ
現実から目を背けてニタニタしててきっしょい的な
ま、村上隆の作品性とか全然知らんけどね
むしろこの絵は皮肉や揶揄を表してる可能性もある
けど、それでも目を見開いているってことが重要
結局、目を見開いた笑顔ってのは時に現実を受けての微笑みってだけじゃなく、時には必死で生きる上での自己防衛的な背伸びした生命性の発露だったりするんだよ
首噛まれた鹿がなんとか捕食者から逃れようとジタバタ抵抗してる感じのね
俺はそっちの方に美、生命のきらめきを感じるのよ
村上隆
逆に言うと、”音や光の節約”や”時間の浪費”にはこれからの時代、人々はそこに”美”を感じるのかもしれない
https://mstdn.jp/@nankaitouketsusarendayotwitter/109469181893495939
例えば↑のトゥートで昨日紹介した「企業ロゴに使われる色が地味になっている(世界から色が消えている)」って記事もまさにそうだ
世界から色が消えているというよりも色は増えないのに色の使い手が増えることによって「色の飢餓状態」になって、だからこそそういう色を独占しない、要するに「この色と言ったらこの会社!」みたいなイメージ戦略を行わないことが上品さをブランディングするんじゃないかと思った
これからの時代はそういう意味では水墨画的な美が求められるんじゃないかな
色合いとしては地味
旋律も直線的で使われる音も少ない
けどリズムは目まぐるしく変化する
みたいな感じかな
あるいは人間の人生という時間は希少資源だから、全体の時間は節約的、つまりは短い曲の方がより謙虚に聴こえるかもしれない
こういう角度から色々掘り下げて言って作曲してみます
面白いもんができそう
マストドンのアイコンに使われるようなアニメ絵は普通に癒される部分もあるのに、ソシャゲ広告やV野郎のサムネに不快感を感じるのって、もはやああいうアニメ絵が「おっさんのスポークスウーマン」として利用されているだけの道具、言わば”性格の悪いおっさんの装飾された唇”を見せつけられてるだけだからだと思うのよね
性格の悪さが表情に反映されている
収縮した瞳孔とかああいう煽り表情、見てて腹立つからね
そして奴らが「目を閉じて笑う」という非人間的な振る舞いをするのも、まさに人間性を持たず、ただ性格の悪いおっさんの拡張器官としてのみ(非自律的な)機械的に存在しているだけの無機物であることを象徴しているように思える
んでそういう広告やV野郎の下品さ不快さの正体として、「希少なはずの”色”や”音”を使いまくる」ってのがあるのかなと堺屋太一の情知の法則を受けて思った
要は奴らのデザインってとにかくカラフルで名前も良い響きのもんばっか使うやろ?
それが飢饉の時に飯を独占してたらふく食ってるような抽象的醜さを表してるのよ
なんか点と点が繋がったわ
他人から好かれるために「”恩を売る”」ことよりも「”恩を買う”」方が、大事な時代
「キエフの幽霊」描いた日本の漫画、ウクライナで翻訳され人気に(朝日新聞デジタル)
https://news.yahoo.co.jp/articles/bed6d774cf77815a33755e301c9a97985f9c5a72
↑の記事、ウクライナのNAFO(ネットプロパガンダ勢力)みたいな連中による工作であることを前提とした上で、ウクライナ側から日本に何かしてやったぜという恩を売る情報じゃなくて、日本の漫画が人気っていう恩を買うタイプの情報であることに注目
前々から思っていたけど、やっぱり需要を供給が大きく上回る時代、つまりは”「誰かの役に立ちたい」は贅沢品”である時代には、恩を売るよりも恩を買う方が喜ばれる
結局封建制の本質ってのは、「権力(あるいは職業)+富の世襲」なんだよな
同時に、資本主義社会は「富(だけ)の世襲」と言える
封建制にも富の世襲ってのはあって、それが資本主義社会に近付いたことによって、少なくとも権力や職業という意味では理念的には非世襲制になったのよ
要は世襲的な部分が取り除かれてスマートになったということ
究極的な共産主義社会というのは、世襲されるものばかりか私有できる部分すらなくすというものだけど、資本主義社会というのも実は封建制社会と比較すると圧倒的に共産主義的だと言えるのよ
ここがあんま理解されていない
資本主義体制が社会の完璧な理想像とは全く思わないけど、「マルクスですら市民革命を肯定していた(つまり封建制から資本主義制への移行をポジティブに捉えていた)」ということを忘れてはならない
そして明治維新ってのは解釈にもよるけどいわゆる典型的な市民革命ではないのよ
だからこそ日本の中にはまだまだ資本主義以前の社会の膿みたいな部分が残っているということ
完全に資本主義的ではないが故に現れている問題を資本主義のせいにしてはいけないのよ
そこの現状把握をまず行った上で、それでもこの問題に関しては資本主義が原因だなと思うのなら資本主義を否定して共産主義かあるいはそれ以外の何かしらの社会制度へ踏み出すための思想を持てば良い
#LTL
https://mstdn.jp/@TonCantan82/109440802910170297
俺への言及ということで反論させてもらうが、同じ論理を繰り返すけど、「江戸時代にも”スラム”はありましたよね?」
江戸時代に飢饉で死んだり貧乏で身売りしていた人々に対してその地名挙げたらただ羨望されるだけだ(そこら辺がスラムなのかなんなのかは知らんが)
自分が対峙する理不尽さの原因が本当に「資本主義」にあるのかをもうちょい問い直す習慣が必要なんよ
才能がある奴を勝者とする社会、身分がある奴を勝者とする社会、金がある奴を勝者とする社会
どれが一番万人に開かれているのかっていう話(程度問題として)
むしろ世の中の歪、理不尽さの大半は「資本主義になりきれていない部分」に由来することがほとんど
ここに気付いてない馬鹿が多い
”政商”みたいなのが時折批判されるけど、結局”政商”にならないとビジネスをやれないシステムがおかしいのよ
そもそも「政”商”」ならまだいい方で、医者や教師みたいな先生、先生言われるような職業なんて全員政商レベル99みたいな連中だからね
社会保障費や教育費が「弱者のためだ」ってのはあくまでも一つの「徴税のための口実(俺は高校や大学のための学費は現代の”十分の一税”だと思っている)」であって、実際には非効率な巨大産業とそれに乗っかかって美味しい思いをする労働貴族みたいな連中を潤わせたいだけに過ぎない
そもそもじゃあ学校でなにか役に立つこと学びましたかって話
そこで仮に何か思いついたとして、それって”学校が消失した場合”、民間でより効率的に代替できると想像できませんかって話
学校にせよ病院にせよもはやDX可能にも関わらず税金使って維持しているのは「ゾンビ企業」みたいなものなんすよ
//おはトゥーの内容の続きね
こういうさ、なんか世の中的な「公金使ってる奴らへの嫌悪感」みたいなのを抱かない日本人多いよね
なんでやろうね
金持ちに対しては「格差ガーッ!!搾取ガーッ!!」ってブチ切れる癖に、「公金長者」みたいな連中には全くブチ切れないわけよ
いやいや彼らこそ現代の貴族っすよ
だって国の税金使ってなんか好き勝手やってるんだからさ、それって言わば間接的な「徴税権」の持主みたいなもんでしょ?
そういう奴らって市場におけるチーターみたいな振る舞い方をするのよ
普通の人間でも頑張ったら宝くじや投資や起業なんかで一発当てられるかもしれないけど、公金に集って好き勝手するなんてことは絶対できないからね
あと前々から思っていた反資本主義者を論破する論理をここで展開するわ
「”資本主義以前の社会にも格差や貧困はあったから”」
江戸時代とか資本主義社会じゃないっすけど普通に飢餓とかありましたよね
原始時代とかも資本主義社会じゃなかったけど平等だったと思いますか?
自分の苦しみの由来を「資本主義」に求めるのはやめろ
そういう意味で、発信する情報を人目に触れさせるってのも大事なんだなと思ったわ
ここ一カ月くらいの”人目に触れない場所に情報を書き留める”生活を経て
これ結構重要だと思う
前に俺は「思いついたことをすぐに人目に触れるSNSとかに書いてしまうと”他人に見られても問題ない範囲でしか思考しなくなる”」みたいなデメリットを挙げたけど、それと相対する形で、この「発信する情報のハイコンテクスト性を下げることができる(後で振り返った時に理解しやすい情報を記述する傾向が高まる)」という隠れたメリットが存在しているっていう感じだね
どっち取るかは難しいけど、11月はEvernoteに書きまくってマストドンへの浮上率が下がってしまったことが少し残念なので、12月からはEvernoteではなく、一次書き込み先をマストドンにして(先述の位置座標指定など工夫した上で)その内容をEvernoteとかOneNoteとかに整理してどっかブログとかwikiに二次的にまとめるみたいなことしようかなと思っている #コンセプトグレイビアード #あとでやる
#三上探し #生活習慣環境 #情報発信は生存発信 #随筆 #あとでやる #コンセプトグレイビアード
//返信先の内容の続きね
マストドンみたいな「他人も見ている空間」で情報発信を行うことの一番のメリットってのは、
「アウトプットのハイコンテクスト性を下げることができる」
ってのが大きく存在しているな
どういう事かって言うと、Evernoteみたいなローカルな場に書き込みを続けていると、”どうせ俺しか見ないし(なんなら俺自身一生振り返ることがないかも)”って環境条件から、「あとで読み返した時に全然理解できない駄文」みたいな書き込みになってしまう傾向がある
その時のそのタイミングの俺には理解できるのかもしれないけど、他人や後の自分は分からないみたいな書式になってしまう
ここで”他人の目”に文章を触れさせてやると、なんか外行きの格好とかじゃないけど、「しっかり他人が読んで理解できるように書かなきゃ」という心理作用が働く
このことによって、他人に対して文章を読んでもらえるだけじゃなくて、「後で自分自身で振り返った時に分かりやすい内容が増える」というポジティブな効果があるのよね